30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

12/1 面白くない日記

最近は日記の内容が余り面白くないという自覚がある。

内面の苦しみを吐露したものが、人の心に最も訴えかける文章であるし、何より他人の不幸というのは面白いものだ。しかし、最近の僕の身には良い出来事が起こっている。自分で言うのもなんだが、生き死にも未来も見えなかった入院中の絶望的な時期に書いていた日記は臨場感があって抜群に面白い。

「小説を書くには苦痛が必要だ」という話を聞いたことがある。確かに、食い扶持のない追い詰められた無職の書いた小説の方が、平凡な公務員が書いた小説よりも面白いだろうなという気がする。それと同じで、今の僕は比較的順調であり、以前のような文章を書く原動力となる「負の感情」が消えつつあるからだろう。

 

コメントやメールなどでやり取りした経験上、僕のブログに来てくれる読者は、

 ① 似たような病気で本人または家族が苦しんでいる(いた)人

 ② 苦しんでいる僕を見て相対的な自分の幸せを再認識している人

という2パターンに大別されると思っている。勿論、①の方々が大部分だが。

 

最近の僕に起こった数々の出来事は、控えめに言っても、有り得ないレベルの逆転劇であり、②の目的で来てくれていた方に対し、「中学の時に小馬鹿にしていた冴えない同級生が、同窓会で会ってみると大成功していたときに抱く感情」に近いものを与える内容であることも理解している。

ただ、僕はこの日記を書き出してから、淡々と日々の出来事を書いているのであり、最近の出来事も事実として書いているのであって、特段自慢をするために書いているというわけでないことをご理解頂きたい。

そして、そういう意味では、しばらくは面白くない日記が続くと思う。

だが、日記が面白くなりだしたら、苦しんでいるのだと理解して欲しい。

 

久々に僕らしい捻くれた文章が書けた気がする(笑)

11/22 種の保存三度

がん治療前に保存した精子の保管期限が近づいてきたので、さらに2年の延長をした。今回も便宜を図ってくれて、電話受付の上、遠隔での手続きで済ませることができた。

 

2年前の日記を読み返して、本当に苦しい時期だったことを思い返す。

手術の副作用がとにかく苦しくて、食事もろくにとれず、また、離婚を始めとして人間の悪意に触れる機会が多くあり、とにかく心身ともに疲弊していて、希望が見えなかった時期だ。あれから2年でよくぞここまで人生を立て直したものだと我ながら思う。

今日の僕は2年前に腐らず諦めず努力を続けた僕自身により救われているのだ。2年後に生きていれば、その時の僕は今日の僕に対して何を思うのだろう。2年後の自分自身に感謝されるように、これから2年間、また頑張って行こうと思う。

11/10 一気に動く

先週末は所用により東京へ。転職により、今までのように時間も取れなくなるだろうということで、お世話になった人達に会うためだ。

一時の僕は、人に全く会いたくないというくらい塞ぎ込んでいたのだけど、この1年で大分回復したように思う。そして、自分は無価値な人間だという考えに囚われていたのだけど、これだけ会ってくれる人がいるということは、まだまだ僕も捨てたものではないのかもしれない(笑)

転職前に会いたいと思う人たちには一通り会えた。ここで会った人たちは自分の一番弱っていた時期を支えてくれた人達だ。本当に感謝してもしきれない。これから恩返しをできればいいのだが。とても楽しい時間だった。

 

そして、帰りは福岡に直帰ではなく、西日本の某県に寄って行った。

転職先の住居を探すためだ。移動先は九州近辺を希望していたのだけど、残念ながら微妙に離れたどこぞの工業地帯になってしまった。縁もゆかりもない場所だが、心機一転するにはいいかなと前向きに考えている。

しかし、こういう工業地帯の住宅ってビックリするくらい全て造りが似ている。面倒になったので、2時間で物件を決めてしまった。不動産屋からしたらいい客だったと思う。経験上、こういうときは悩んでも余り結果は変わらないから、ある程度直感で決めたほうが上手く行く気がする。

そろそろ引っ越しの準備もしなければならない。

でも、物事が一気に進んでいくこの感じは好きだ。

11/8 弁理士結果

弁理士試験に最終合格した。

これで病気が再発して無職になっても、肩書上は「弁理士」として死ねる。実はこれも士業取得の目的の一つでもあった。何を先のことを…と思われる方も多かろうが、そんなに先のことでもない可能性のある僕にとっては、どうやって死ぬかを考えておくのは結構大事なことだ。

別に僕の家系は大層なものではないが、最終的に無職で死んでも、葬送してくれる家族・親戚に恥をかかせないくらいの肩書ができたのではないだろうか。

 

手ごたえからして合格だろうとは思っていたが、やはり嬉しいものだ。

だが、頑張れば結果が出るというのは、ある意味当たり前すぎて当たり前すぎる。病気なんか、頑張ってもどうしようもないことばかりだった。僕はもう人生で病気以上の激烈な経験をすることはないのだろう。それが良いのか悪いのかは分からないが。

 

しかし、取得したはいいが、転職に成功したという事実を考えると、弁理士という資格もそこまで重要さを持ち得なくなってしまった。僕は無職になることを想定し、かつ転職先が見つからないという前提で弁理士試験を受けていた。

そして、何より転職先の会社には、無茶苦茶な人生の僕を信用して、雇ってくれた大きな恩義がある。にもかかわらず、入社してすぐに弁理士の資格をかざして異動を望むのは、信義則に反することだ。

ただ、入社後、がんが再発した場合の切り札としては十分使えるだろうし、そうでなくても、ハッタリとしては有用なので、存分に活用するつもりだ。

 

この数年、色々な出来事がありながら、よくも腐らず・諦めずに頑張ったものだと思い返している。正直、悔しいこと・苦しいこと・泣きたいことばかりだったが、この合格をひとつの区切りとして、これから新しい人生を頑張って行ける気がする。

11/4 事実は小説よりも

この件について。

少し日記でも触れたが、転職が決まった。

そして、その内定先が信じられない会社だった。新卒でも入社できたかどうか分からないレベルの会社だ。しかも(元?)がん患者ということは明らかにして選考に臨んでいる。

これほど絶望的な条件を覆して、この会社に中途採用されるというのはどれ程の確率なのだろうか。前例が全くないというのが実際のところだと思う。システマチックで例外を許さないであろう超大企業にもかかわらず、これほどのギャンブルをしてくれた会社には感謝している。

 

バブル末期に「お金がない!」という織田裕二主演のドラマがあった。無職で貧乏人の主人公が有り得ない方法で一流企業に入社して、トントン拍子に出世していくというコメディーだったのだけど、子供ながらにこんなの都合よすぎて有り得ないよねと思って見ていた。しかし、ドラマの中の織田裕二に起こったことよりも、非現実的で有り得ないことが自分の身に起こったのだ。

2年前はハローワークで転職先を探そうとしていたのが信じられない。

僕にとって平成最後の年は、人生最高の年となるかもしれない。