30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

12/20 定期検査

先日、九州がんセンターでの半年に一度の検査を受けた。

転職で九州は離れてしまっているのだけど、距離的にそう遠くないということと、半年に一度ということで、今のところ都度戻ってきて検査を受ける方針にしている。何より今までの経緯を知っている先生に診てもらった方が安心だ。

 

結果は「問題なし」。転職したばかりなので安心した。

そういえば、会社で、「がんに罹患した社員」「がん治療を終えて職場復帰した社員」を会社として応援していきますという旨の社内メールが社長から入っていた。「がんになって入ってきた社員」が言及されていないのは笑ってしまったが、そんな奴がまさか入社してるなんて、普通は思わんよな。

ただ、僕が入社できたのも、実はそういうところにもあるかもしれない。僕のような境遇の人間を雇うことで、CSR(企業の社会的責任)として先んじて対応しているというアピールができる可能性があるからだ。

僕は僕で、面接では病気を逆手に取って、「いずれはがん対策基本法の改正が施行されて、大企業は一定数の元がん患者を雇わなければならないという流れになると思います。御社レベルの会社ならば、CSR的な観点から、法律に先んじてそういったアピールをするべきです。私のような人間を雇うと、いつか必ず役に立ちます。」という有り得ない自己アピールをした。これが効いて合格したのかどうかは知らないが、こんな狂った自己アピールをする奴なんか、海千山千の人事も見たことがなかっただろう。

 

そしていよいよ、あと1年で寛解となる。4年前は僕は関東のがんセンターで絶望的な日々を送っていたのだ。あれから色々なことがあったなぁ。あれから本当に諦めずに頑張って、それなりに報われて奇跡みたいだなぁと思い返している。

冬ってのはどうも感傷的になりやすくていかんな(笑)

12/21 もはや病後ではない

池田隼人が「もはや戦後ではない」と言ったのはいつだっただろうか。

2度目の入退院からもう2年ほど経つが、僕はその間に書いていたブログのカテゴリーを、ずっと「がん闘病記2(退院後)」としてきた。この2年間は僕にとってはずっと「退院後」だったのだ。ずっと前に進めていなかった。

勿論、医学的にはがん発病から5年間再発が無ければ「寛解」となるため、その意味では僕はまだ「がん患者」でもある。しかし、医学的見地や肉体的な後遺症は別として、精神的にはがんの呪縛から解放されつつある。全ての物事が好転してきた今、「もはや退院後ではない」のだろう。いよいよ僕の復興が始まるのだ。 

 

そして少し近況を…。

転職して3週間が経った。引っ越しをしたばかりであり、しかも弁理士の実務修習の起案課題もあって、それなりにバタバタしつつも、充実した日々を送っている。

今は工場のエンジニアとして働いている。日本では工場勤務となると、「3K」と安直に考えられがちであるが、僕は一番人間らしい暮らしができる職場だと思っている。職場内では協力して作業をするため競争がなく仲間意識が強い、通勤時間は短い、残業は少ない、食事は安い、有給は取らされる、少しでも体調が悪いと休まされる、各種手当は充実している、資格取得に金を出してくれる、作業服が支給されるので服装は気にしなくてよい…と良いことづくめだ。

そして何より、東京の給与水準を貰いながら、物価の安い地方で暮らすというのは、想像以上に「人生の質」は高い。とは言っても、金をどれだけ稼いでも、僕の場合は余り使い道がないのだけどね(笑)

ということで、今のところ、新天地でも順調です。

12/1 面白くない日記

最近は日記の内容が余り面白くないという自覚がある。

内面の苦しみを吐露したものが、人の心に最も訴えかける文章であるし、何より他人の不幸というのは面白いものだ。しかし、最近の僕の身には良い出来事が起こっている。自分で言うのもなんだが、生き死にも未来も見えなかった入院中の絶望的な時期に書いていた日記は臨場感があって抜群に面白い。

「小説を書くには苦痛が必要だ」という話を聞いたことがある。確かに、食い扶持のない追い詰められた無職の書いた小説の方が、平凡な公務員が書いた小説よりも面白いだろうなという気がする。それと同じで、今の僕は比較的順調であり、以前のような文章を書く原動力となる「負の感情」が消えつつあるからだろう。

 

コメントやメールなどでやり取りした経験上、僕のブログに来てくれる読者は、

 ① 似たような病気で本人または家族が苦しんでいる(いた)人

 ② 苦しんでいる僕を見て相対的な自分の幸せを再認識している人

という2パターンに大別されると思っている。勿論、①の方々が大部分だが。

 

最近の僕に起こった数々の出来事は、控えめに言っても、有り得ないレベルの逆転劇であり、②の目的で来てくれていた方に対し、「中学の時に小馬鹿にしていた冴えない同級生が、同窓会で会ってみると大成功していたときに抱く感情」に近いものを与える内容であることも理解している。

ただ、僕はこの日記を書き出してから、淡々と日々の出来事を書いているのであり、最近の出来事も事実として書いているのであって、特段自慢をするために書いているというわけでないことをご理解頂きたい。

そして、そういう意味では、しばらくは面白くない日記が続くと思う。

だが、日記が面白くなりだしたら、苦しんでいるのだと理解して欲しい。

 

久々に僕らしい捻くれた文章が書けた気がする(笑)

11/22 種の保存三度

がん治療前に保存した精子の保管期限が近づいてきたので、さらに2年の延長をした。今回も便宜を図ってくれて、電話受付の上、遠隔での手続きで済ませることができた。

 

2年前の日記を読み返して、本当に苦しい時期だったことを思い返す。

手術の副作用がとにかく苦しくて、食事もろくにとれず、また、離婚を始めとして人間の悪意に触れる機会が多くあり、とにかく心身ともに疲弊していて、希望が見えなかった時期だ。あれから2年でよくぞここまで人生を立て直したものだと我ながら思う。

今日の僕は2年前に腐らず諦めず努力を続けた僕自身により救われているのだ。2年後に生きていれば、その時の僕は今日の僕に対して何を思うのだろう。2年後の自分自身に感謝されるように、これから2年間、また頑張って行こうと思う。

11/10 一気に動く

先週末は所用により東京へ。転職により、今までのように時間も取れなくなるだろうということで、お世話になった人達に会うためだ。

一時の僕は、人に全く会いたくないというくらい塞ぎ込んでいたのだけど、この1年で大分回復したように思う。そして、自分は無価値な人間だという考えに囚われていたのだけど、これだけ会ってくれる人がいるということは、まだまだ僕も捨てたものではないのかもしれない(笑)

転職前に会いたいと思う人たちには一通り会えた。ここで会った人たちは自分の一番弱っていた時期を支えてくれた人達だ。本当に感謝してもしきれない。これから恩返しをできればいいのだが。とても楽しい時間だった。

 

そして、帰りは福岡に直帰ではなく、西日本の某県に寄って行った。

転職先の住居を探すためだ。移動先は九州近辺を希望していたのだけど、残念ながら微妙に離れたどこぞの工業地帯になってしまった。縁もゆかりもない場所だが、心機一転するにはいいかなと前向きに考えている。

しかし、こういう工業地帯の住宅ってビックリするくらい全て造りが似ている。面倒になったので、2時間で物件を決めてしまった。不動産屋からしたらいい客だったと思う。経験上、こういうときは悩んでも余り結果は変わらないから、ある程度直感で決めたほうが上手く行く気がする。

そろそろ引っ越しの準備もしなければならない。

でも、物事が一気に進んでいくこの感じは好きだ。