30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

2/10 弁理士試験と抗がん剤と私

訳の分からないタイトルだが、某曲名のオマージュである。

さて、特許制度と製薬業界というのは切っても切り離せない関係にある。薬剤に係る特許は莫大な利益を生み出すため、どんどん新しい判例が出て、議論も活発な分野で題材にされやすい。だから弁理士になって実際に薬剤を扱うかどうかは別として、弁理士試験には薬剤に関する特許の問題が頻繁に出題される。

 

そしてその場合、なぜか抗がん剤が絡められることが多い。

・副作用の強い抗がん剤に特許権を付与することの是非

・既知の物質に抗がん作用を見出した場合に発明となりうるか

・一定の確率でしか効果のない抗がん剤は「発明」の定義にあてはまるか

・抗がん剤を共同開発した場合の特許を受ける権利の帰属

・抗がん剤に係る特許が厚生労働省の処分を受けていた場合の存続期間の延長

…など枚挙に暇がない。

 

例えば、「この抗がん剤を使用すると副作用は大きいが、劇的な抗がん作用がある。」などと空々しいことが問題文に書かれている。それに対して、「極めて副作用の強い抗がん剤は、人体に重大な障害を与えるおそれがあるため公序良俗に反し、公衆衛生を害するため、拒絶理由になるようにも思える(特許法32条、49条2号)。しかし…」などとこちらも白々しい回答を書くわけだ。

しかし、そんなときは文章を書きながら、「そんな奇跡的な抗がん剤があるなら俺に打って欲しいもんだよ。何が公序良俗違反だよ。机上の空論ばっかり並べやがって。この問題を作った奴はクズだ。問題を作成する以前に、人の心を勉強してこい。嬉々として軽々しい気持ちで問題に出しやがって。お前も一度抗がん剤を打ってみるか?抗がん剤の副作用に苦しみながら、効果がなかったときの絶望感を味わってみろよ。」とありとあらゆる罵詈雑言に心の中が支配される。だから、予備校の論文の答練でも、抗がん剤が絡められた問題が出たときは、心が乱されて、大抵点数が低かった。

だから本試験でも出ないことを願っていた。

そして幸いにも本試験では出なかった。

だから受かったのだろうな…と未だに思う。

 

でも何なんだろう。弁理士試験での抗がん剤に対するこのぞんざいな扱いは。製薬に関する問題だと何にでも使えるワイルドカードみたいな扱いになっている。「抗がん剤」ならどんな有り得ない前提条件でも出題が許容されているのもおかしな話だと思う。 

しかし、正直、こんなところでまで抗がん剤との付き合いが続くとは思わなかった。抗がん剤とのお付き合いは、もうこれで最後にしたいものだ。

1/25 三途の川の渡し賃

最近どうしようもない絶望感に襲われることが多くなった。

仕事を頑張ったところで、どうせいつ再発するやもしれない。金をどれだけ稼いだところで、使い途なんてないし、来年には死んでいるかもしれない。…というような、凄まじい虚無感に襲われる。

しかし、年齢的に、病気で死ななかった場合を考えると、今後のために金を稼がないわけにはいかない。だが、病気が再発して、数年以内に死んでしまった場合は、稼いだ金も全ては無駄なものになってしまう。何のために働いているのか分からなくなる。

本当に「三途の川の渡し賃」を稼いでいるような感覚に陥るのだ。

 

そして、ありとあらゆるネガティブが頭の中で空転して、どうしようもなくなる。

嗅覚がないこと、味覚がないこと、リンパ郭清のこと、唾液がでないこと、口がうまく動かないこと、鼻水が止まらないこと、涙が止まらないこと、視力が落ちつつあること、すぐ頭が痛くなること、そして、孤独なこと、一気に苦しい感情が押し寄せてきて、これから一生、不具にして生きていかねばならない絶望感に押しつぶされそうになる。

 

まだ引っ越し・転職して1ヵ月半で環境に慣れていないのもあるし、週末には弁理士の実務修習があって、余り休めていないから、精神的・体力的に疲れているというのも大きいかもしれない。

心が安定するのを待ちながら耐えるしかない。

今まで乗り越えてきたのだから今回も乗り越えられるさ。

1/14 年賀状狂騒曲

突然だが、僕の本来のよさというのは、「人のよさ」にあったと思う。太宰治の人間失格に出てくるヨシ子は「信頼の天才」とあったが、それと同じで若いころの僕は余り人を疑うということをしなかった。自分で言うのも何だが、その人のよさでもって、色々な人から好かれたり、可愛がられたりすることが多くあって、今思えば、それで人生が上手く回っていた気がする。

勿論、その人のよさに付け込まれたり、馬鹿にされたりということは多くあったが、それよりも得るものの方が多かったように思う。

しかし、病気に関係するゴタゴタで僕のよさはすっかり失われてしまった。

 

一旦、タイトルに戻ろう。年賀状というのはある種の神経衰弱だ。今年はもういいだろうと送らなかった人から送られてきたり、この人には送っておかないと、という人から返ってこなかったりする。人間関係の取捨選択を迫られるイベントでもあったりする。

年賀状を僕の方からは何回か送ったのだけど、全て返って来なかったので、もういいかということでこちらから送るのをやめた人がいた。僕が病気になって落ちぶれていたので、こいつには送る価値はないと判断されたのだろう、と当時は思っていた。

しかし、なぜか今年に限って件の人から年賀状が届いていた。不思議な感じがした。不思議というよりも、不信感に近いかもしれない。皆さんも経験上分かると思うが、一度年賀状のやり取りが断絶した以上、何かしらの理由がない限り、自然発生的に再開するというのはほぼ有り得ないからだ。

この年賀状をくれた彼も、深い理由もなく、今年に限って何となく年賀状を送ってきただけかもしれないが、僕はそれを素直に受け止める心をもはや持っていない。昨年起こった「何か」の理由があって、関係を繋ぎとめておくために送ってきたようにしか思えないのだ。「何か」とは何だろう。電験1種に受かったこと、弁理士に受かったこと、超大企業に転職をしたことか、を漏れ聞いて、まだ使い道があると思ったのかもしれない。

 

年賀状ごときで、ここまで邪推するような人間に自分がなるとはね。

汚れつちまつた悲しみに。

1/12 正しい道

転職して1ヵ月が経った。

フルタイムで働いて気付いたが、とにかく気力・体力が落ちている。何をやっていてもすぐに疲れてしまう。以前のようなエネルギーが湧いてこない。その度に「ああ、俺はまだ病人なんだな」ということに気付かされて、しばしば絶望感に襲われる。

もっと他の道があったのではないか、これは本当に正しい道だったのか、もっと楽で負担のかからない仕事にすべきだったのではないのか、とか、色々考えてしまう。傍から見れば、相当に恵まれていることは分かっているのだが、この辺りは僕の性格で、色々考えすぎてしまうのは仕方がない。

日記では「病気になったことで人と同じ生き方をしなくてよい気楽さ」を標榜しながら、実際には世間体・収入などを気にして、自分がどう思うかではなく、人にどう思われるかを気にした生き方に、結果的に戻ってしまった自己矛盾に苦しんでいる。

とは言え、入社1ヵ月でここまで考えてしまうのは時期尚早かもしれない。しばらくは頑張ってみるが、 どこまで体力的・精神的に耐えられるかというのが勝負だろう。

 

そういえば、入社時の手続きの会話で、「この会社に入った以上、もうお辞めになることはないと思いますが…」という前置きを総務の若手社員にされたことが印象に残っている。「選民意識の強いエリートにありがちな思い上がりだな」とは思いつつも、人生を語るウザいオッサンにはなりたくなかったので、適当に同意しておいた。

でも、本当に人生なんかどうなるか分かんからね。取りあえず、今いる地域は車の運転が凄まじく荒いので、病気で死ぬより、車に轢かれて死ぬ確率の方が高そう(笑)

12/31 今年一年

年末年始は地元に戻って過ごしている。

新幹線でそんなに遠くない距離なので、移動が楽なのが助かる。病気になって体力が低下して分かったことだけど、飛行機移動は、気圧の変化に耐えなければならないから、座っているだけでも結構疲れるのだ。

新しい仕事を始めてまだ1ヵ月だが、それなりに大変だ。思っていたよりも場違いな部署に配属された感があって、話の半分が何を言っているか分からない(笑)そして、大企業だけあって社内作法を覚えるのが相当大変そうだし、業態的に法律で雁字搦めなので、そちらの手続きを覚えるのも大変そうだ。

ただ、僕は病気のせい(おかげ?)で、人と同じような真っ当な生き方をしなければならないという強迫観念からは解放されているので、出世のために必要以上に働くという考えはない。生きる糧を稼ぐために、淡々と粛々と働くつもりだから、気楽と言えば気楽ではある。今回の病気を含めて色々経験した上で、何があっても一生喰っていけるという感触を得ることができたのは非常に大きい。

 

とまあ、相変わらず、つまらない近況報告だが、僕の人生なんて、「がん」によってここ最近は文章を書く原動力を与えられていたようなもので、元々の僕が書くことができる日常なんてこの程度の取るに足らないものなのだ。 

とは言え、今年は客観的に見ても、尋常じゃなく努力をして、信じられないくらい上手く行った一年じゃないかと思う。そして、残り短いロウソクの内の、かなりのエネルギーを消費した気がする。しばらくはエネルギーが湧いてくる気がしない。

来年は来年で、今年とは違った意味で大変な年になるだろう。正直なところ、「ここまでの思いをしてまで生きなければならないものか?」という思いは病気になって以来、常に心のどこかにある。死ぬよりも、生きるほうが苦しいものだ。そんなことを公言すると、奇人変人扱いされるから、ブログで書くのだけど。

 

しかしながら、仮にこの大晦日で死ねるとするならば、それは絶頂期で人生を終えることができる、一番きれいな死に様ではなかろうかね?(笑)