30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

2022/7/29 キイトルーダ8回目とシュレディンガーの猫

キイトルーダ8回目の投薬日であった。もう8回目なのだ。

投薬中に隣りで同じ薬を打っている患者さんが言っていた。「この薬は根本的に病気を治す治療ではないからね」と。僕もそう思う。しかし、効果がないと薄々気づきつつも、続けていくしかないのだ。もう僕の「シュレディンガーの猫」は箱の中でとっくに死んでいるのだろう。そして、毎月大枚をはたいて投薬を続けることで、箱の中の結論を観測しないで済む権利を買っているに過ぎないのだ。

 

最近はほとんど形に残るものを購入しなくなった。理由はお分かりだろう。僕はこれから緩やかに来るべき日に向かっていくのだ。その覚悟をしておかなければならない。

僕はこれ以上ないくらい頑張っただろう。

最近は精神的にも肉体的にも大分弱っている。

2022/7/8 キイトルーダ7回目と銃撃事件

今回は7回目の投薬である。さて、前回のCTの結果であるが、2か所の腫瘍は一方は縮小、他方は拡大しているとの結果が得られた。投薬治療を継続との結論らしいが、どうなんだろうか。もう効果が出なさそうな気もするが、このまま金を垂れ流していくしかないのか。僕の場合は、特定のがんに効果がある治療ではないので、ある意味、現代医療という宗教に金をつぎ込んでいるのかもしれない。

宗教と言えば、僕が投薬を受けているまさにその時に、安倍元首相が銃撃されたというニュースが飛び込んできた。衝撃的であった。僕は安倍元首相に特別な感情はなかったが、このような出来事を見ると、最近は精神的に弱っていることもあり、苦しくなる。

容疑者は僕と年齢はさほど変わらない。別に不幸自慢をするわけではないが、破産後の容疑者の実家の家計と、元々の僕の実家の家計もそんなに変わらないだろうと思う。しかし、僕は奨学金で大学院まで進み、3度のがんの発病にも関わらず、「外見上は」まともな人生を送れている。片や世の中を呪詛した挙句の世紀のテロリストである。

容疑者の自己責任と言ってしまえばそれまでだが、僕も一歩間違っていれば、おそらくはこの容疑者のようになっていたのだろうという実感がある。病気になってから嫌というほど味わったが、人間が堕ちていくのなんて簡単で、全ては紙一重なのだ。この容疑者と僕の違いって一体何だったのだろうか。

正直なところ最近体調も良くないし、疲れてきた。

思考もネガティブに傾いてしまう。無理をしているのかもしれない。

2022/6/17 キイトルーダ6回目とコロナワクチン

今日はキイトルーダ6回目の投薬日であった。3回に1回は効果測定のためにCTを受けることになっているため、今回は、採血・採尿→レントゲン→診察→キイトルーダ投薬→CT、と朝一から病院に行って、解放されたのは15時頃だ。

とは言え、がんセンターはホスピタリティの高い職員が多いので、とても快適に過ごさせてもらっている。5年前に入院した頃に比べて、職員のレベルも大幅に上がっているように思う。僕が仕事先で住んでいる地域は、正直言って、能力も態度もいまいちな医者・看護師が多いので、より一層そう感じるのかもしれない。

 

なお、先日コロナワクチン3回目も接種したのだが、1・2回目同様に今回も全く副反応は無し。若く健康な人ほど副反応が強く出るとのことなので、自分はもう生命体として枯れつつあるのではないかと思う。

さて、いつまで生き延びることができるのやら。

2022/5/27 キイトルーダ5回目と運命論

キイトルーダ5回目の投薬日であった。今のところは毎回地元に帰ってきて投薬をしてもらっている。職場がある付近の病院に移管してもいいのだが、それなりに息抜きになっているので、当面は地元で治療をするつもりだ。

抗がん剤投与が息抜きってのも変な話ではあるが(笑)

 

こういった息抜きが必要になるくらい、新年度からの仕事は大変だ。管理職に上がって部下ができて、精神的に負荷のかかる仕事が多くなった。キイトルーダはそこまで副作用はないものの、やはり体力が落ちていることは間違いないので、投薬をしながら今の負荷の仕事をしていると、仕事と薬の合わせ技でいつか倒れるかもしれない。

がんを患っているのに雇ってくれた今の会社には感謝しているが、今の仕事の割り当てはさすがに無茶苦茶だろうとは思う。何事もキッチリやろうとする僕の性格に付け込んでいるのも分かる。まぁ僕が死のうが生きようが、短期的に利益が出ればどうでもいい、と思っているのかもしれない。

もう会社には十分過ぎるくらい元を取らせたと思っているので、正直いつ辞めてしまってもいいのだが、給与や福利厚生・健康保険のことを考えると、なかなか辞めづらいのも事実である。やっぱり典型的な日本の大企業の仕組みって麻薬と一緒で、気づいた時にはゆでガエルになって逃げだせなくなっていくのだ。とはいえ、そろそろ環境を変える計画を立てようと思っている。命あっての物種である。

 

さて、がんセンターでは内科の先生にかかりながら投薬治療を受けている。内科の先生は比較的若い方だ、とは言っても、僕と同年代くらいだと思うが、とてもハキハキして気持ちの良い方である。そんな先生に「〇〇さん(僕の名前)は、強い方ですね」という言葉を頂いた。自分ではそんなことは思ったことはないが、色々な患者を診てきている先生がそういうのだから、客観的に見てそうなのだろう。

僕は病気になって運命論的な考え方をするようになった。恐らく僕に与えられた運命は、若くしてがんになり、離婚をして、職を失い、失意と自暴自棄のなか死んでいく、だったのだろう。3回も再発した以上、何が何でもこのレールに乗せてやろうとする運命の強い意志を感じる(笑)しかし、生来の諦めの悪さから、99.9%は決まっていたであろう運命を捻じ伏せて今に至っているのだ。そういう意味では「強い」と思う。

自分は普通に生活しているだけで日々偉業を成し遂げているのだ、と少し思い上がりながら生きてもいいのかもしれない。

2022/5/6 キイトルーダ4回目とGW

今日はキイトルーダ4回目の投薬日であった。定期的に投薬のために地元に帰ってきているのでGWは帰省の予定はなかったのだが、運悪く3週間に1度というタイミングがGWの谷間の平日である5/6と重なってしまった。3週間に1度というキイトルーダの投薬間隔は、絶対に変えられないのだ。

駅もそうだったが、どこに行っても人が多くて、病院までも人が多くて本当にうんざりした。GW期間中に治療ができなかった人たちが一気に受診するものだから、待ち時間が異常に長くて、投薬で1日が潰れて疲れ果ててしまった。もっとも、僕なんかより、がんセンターの看護師さんや先生の方がもっと大変だろう。感謝の念に堪えない。

さて、前回のCTの結果であるが、2か所の腫瘍は約5%ほど縮小しているとの結果が得られた。一応理系の端くれでもある僕は、5%なんて誤差の範囲じゃないの?と思ったりもするのだが、先生も看護師さんも、現状維持でも縮小でも喜ばしいことです、というような口振りであった。きっと気を遣ってくれているのだろう。

 

また、診察の際に、先生から多少のアルコールは飲んでも構わない旨の回答を得た。飲んだからと言って、特にキイトルーダの効果が下がるということはないらしい。以前、禁酒をすると書いたかもしれないが、禁欲的な生活をしたところで、その先に何が待っているというのか。結局は絶望的な人生が少し伸びるに過ぎない、という理屈だ。

仮に飲酒によって寿命が2~3年縮むとしても飲むだろう。僕の場合は、残り少ない人生の今この瞬間のQOLが何よりも大切なのだ。

治療と仕事でかなりストレスが溜まっているので、薬程度に飲もうと思っている。