30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

3/31 成長と経験

最近更新していないが、家で過ごしているだけなので全く書くことが無い。書けることがあれば書きたいのだが、ほぼニート同然に日々を過ごしているため、特筆すべき出来事があるはずもなく。ニートの日常の日記など見たい人がこの世にいるだろうか?いや、い…

3/19 九州がんセンター

昨日、わが故郷福岡に無事に戻ってくることができた。 戻ってこれたのは良いのだが、こちらに居るときに万が一重篤な状態になった場合、病気が病気なので通常の医療機関では対応できない可能性がある。ということで、福岡での掛かりつけの病院とするために「…

3/17 移動日

今日は福岡への移動日。移動だけでもう大仕事だ。 景気付けに移動前に公園でビールを数ヵ月ぶりに飲んだ。こんなにも旨いもんだったかね? 気分はまさにこれ。 真昼間の公園で飲むなど、傍から見れば完全な人生の落伍者だろうが、蒲田と言う場所柄か、さほど…

3/16 退院

無事に退院日を迎えることができた。 永遠とも思える苦痛に満ちた入院生活ではあったが、終わってみると一瞬だったようにも思えるし、寂しくも思えてくる。それなりに思い出深い場所ではあるが、二度とここには入院しないことを願いつつ「国立がん研究センタ…

3/15 退院前夜

今日は退院前夜。明日で12/1から続いた100日近くの病院生活が終わりを告げる。看護師さん達には大変良くして頂き、苦しいながらも快適な入院生活を送ることができた。 色々お世話になったので是非とも「お礼」をしたかったのだが、最近の病院ではそのような…

3/14 確率の向こう側

治療が終わり魂の抜けた生活をしていた。治療後1週間は陽子線の副作用が最も強く出る期間とのことなので、まだ入院させてもらっている。治療が終わると日記もサボりがちになってしまう。継続が苦手なのは小学生の頃から変わっていない。 さて、僕が入院した…

3/6 26D:陽子線終了

陽子線治療26日目。すなわち今日で終わり。 約100日という長きに渡った治療が終わったという喜びと同時に、言い知れぬ不安が心中を支配している。今までは陽子線治療に耐えきるという明確な目標があった。しかし、治療が終わってしまった以上、能動的にも受…

3/5 25D:点滴終了

陽子線治療25日目。今日で点滴が終了。 12/1から続いた点滴も今日の生理食塩水の注入で終わりを告げた。 左腕はもう点滴の針の痕で一杯だ。しみじみ長かった。 始めて抗がん剤を投与されたときの不安など、色々な記憶が心中に去来する。 そして明日でいよい…

3/4 24D:モルヒネ

陽子線治療24日目。残すところ後2回。 昨日は副作用の影響で喉が焼けて、その痛みで中々眠ることができなかった。仕方がないので、今日は「オプソ」という「麻薬」を就寝前に服用することにした。先日意地でも「麻薬」は服用しないと宣言したが、喉の耐え難…

3/3 23D:観察力

陽子線治療23日目。今日は6週目の最後の抗がん剤投与日。 まだ抗がん剤投与中というのに髪の毛が復活してきた。シスプラチンには脱毛作用は無いのだろうか。僕はシスプラチンとの相性が「良い」のだろうか?いや、効果が薄いということは「悪い」ということ…

3/2 22D:火傷のケア

陽子線治療22日目。装置は無事に復活していた。 後半ともなるといよいよ副作用との闘いとなる。頭部への陽子線照射で生じる主な副作用は… 皮膚炎・鼻炎・口内炎・結膜炎・頭痛 であり、大多数と同じように僕の場合も「皮膚炎」が顕著だ。 陽子線照射を開始し…

3/1 運命

何年も変わらないその姿は時代遅れで、ダサイなんて馬鹿にしたときもあった。病気になって君がどれだけ必要な存在か分かったんだ。 気付いた時には遅かった。君はもうどこにもいなかった。どれだけ探しても君の姿はなかった。 でも今日やっと会えたんだ。運…