30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

12/12 境界線

先日PET-CTを受けてきた。相変わらず高いが背に腹は代えられない。結果は「特に問題なし」。今年は穏やかな年末を迎えることができそうだ。

がんセンターに行くと、長い待ち時間を少しでも有意義に過ごすために、同病の方のブログをチェックするのが習慣になっている。その中の一つに、自分が発病した時から見ているブログがある。2年前から更新が無くなっていたので気になり少し調べてみたら、残念ながら亡くなっていたようだ。

いつも以上に苦しい気持ちになり、なぜ自分は生きているのだろうと考えてしまった。この方と僕の境界線って何だったんだろう。発病時期も病状も年齢も、僕もこの方もほとんど変わらないくらいだった。

 

大学の語学の授業で非常に印象に残っている回がある。

なぜそのような流れになったかは忘れてしまったが、トルストイの「戦争と平和」というタイトルは「失敗した意訳」であるという話だった。実際、ロシア語の原タイトルには「戦争」も「平和」も一文字も出てこないようだ。

日本人は戦前・戦後という強烈な経験があるために違和感なく「戦争と平和」というタイトルが受け止められているが、戦争と平和と言う状態は、それぞれ白か黒の一方の状態のみで存在するわけではない。両者の境界線が混ざり合いつつ、我々はその境界線の上で営為をなしているのだ。要約するとこんな感じだった。

僕はその当時、大学の教養過程で、存在を確率で表現するという量子力学の考え方を学んだばかりということもあり、この主張を違和感なく受け入れることができた。

それも相まって、僕の中でかなり印象に残っている話だ。

 

「生と死」も似たようなものなのだろうと思う。

同時期に発症し、僕は生きていて、この方は亡くなっている。でも、パラレルワールドがあって、そこでは多分逆なんだろう。そんなもんだ。理由なんてない。二人とも境界線の上にいて、たまたま僕の境界線が「生」にぶれてくれた。それだけなんだろう。

そして、病気になってからは「死」を意識しない日はない。遺書は常に準備していて、必要に応じて更新している。量子力学的に言えば、今は「死40・生60」くらいだろうか。感覚的には1年前は「死70・生30」くらいだったから大分復活してきたようには思う。これが「死20・生80」くらいの感覚に戻れば、まぁ寛解と言えるのだろうか。

まだ先は長いが、この方の分まで生きることができればと思う。

次の検査は半年後。少しずつ。一歩ずつ。