タイトルに前回と同じく「人事」を含むが、今回は「ひとごと」と読ませる。
恥ずかしながら、僕は病気の最初の頃に、その「悲劇的な境遇」で世間の同情を買えると思っていたフシがあるのは事実だ。しかし、それっぽく悲しんでくれる人もいるけど、その大部分はポーズであることを僕は知ってしまっている。悲しむのは一瞬だけで、数日後には笑いながら酒の肴になるような世間なのだ。
別にそれが残酷だと言っているわけではない。僕だって、仮に街頭でウクライナ情勢についてインタビューされたら、表面上は悲しむコメントをするだろうが、そんなものは所詮はポーズで、その裏では、株の損失だったり仕事への影響だったり、そんな自分本位のことを考えたりするだろう。そんなもんだ。自分の身に起こった悲劇だけが、世間の憐憫の対象となるなど、そんなことは有り得まい。
自分の身は自分で守る必要がある。ドラマよろしく、窮地で誰かが救いの手を差し伸べてくれるなんて考えてはいけない。昇進の話だって、表面的にはめでたい話ではあるが、タイミングが悪すぎる。僕を文字通り「死ぬまで」使い潰して、使い捨てるつもりなのかもしれない。みんな他人がどうなろうと心底「人事」なのだ。
そして、本当に心配してくれる人との関係だけを大切にしていけばいいのだ。