30代がん闘病記

2014発病・入院・結婚 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院→2025最終章

2025/4/6 良くない近況報告

良くない近況報告をしようと思う。

残念ながら面白半分でこのブログの存在を周囲にバラした輩がいるので、面白がって見ている面識のある知り合いもいるだろう。そういった不幸目的で見ている連中にとっては、喜ばしい報告になるだろうか。人間の悪意は底なしだ。

 

実は昨年の12月より復職して、フルタイムで働いていた。首から下は元気なのがこの病気の特徴だ。最初は問題なく働けており、人生復調の兆しが見えたかに思えたが、ここ最近の状況はかなり悪くなっている。最悪と言ってよいだろう。

まだどこかのタイミングで休職するかもしれない。もうさすがに退職しかないだろうか。

そろそろ「覚悟」を決めるときが来たようだ。

 

・抗がん剤の副作用で耳鳴りが止まらない

・鼻の頭を起因とした慢性的な頭痛

・鼻水が止まらない

・唾液が出なくなりネバつきがひどくなった

・嚥下力が極端に落ち、固形物が呑み込めなくなった

・口が動かず言葉がまともに話せなくなった

・新たな場所へのがん転移

 

まず、体力面が最悪だ。

飲み込むのが辛いので、食事量が極端に落ち、流動食や柔らかい食べ物ばかり摂取するようになった。僕の身長からは信じられないくらいの体重になってしまっている。体力もないものだから、運動もできず、少し歩いただけで息切れしてしまう。体力がないと、生きる気力が湧いてこない。

 

精神面は完全に参ってしまっている。

絶え間ない耳鳴りで頭がおかしくなってしまった。新たながんの転移による極度の不安に晒され続けている。何より、口が動かず言葉が上手く出ないものだから、人と接するのが怖くなってしまい、人を避けながら生活するようになってしまった。人と話さないことは精神を著しく不安定にさせる。そして、母親の死による完全なる孤独。

主治医に抗不安剤を処方してもらうようになった。今まで、どれだけ苦しくても飲んでこなかったが、もう薬なしでは耐えられないのだ。

 

そして、いよいよ遺言書を書き始めている。

自分の人生が終わることを認めてしまうのが怖くて、ずっと先延ばしにしてきた。

僕には法定相続人が居ないので、遺言書を残さずに死ぬと、財産が国庫に帰属してしまう。親戚には死後の処理で色々世話になるだろうから、今まで世話になったお礼と、墓仕舞いなどの手間賃を兼ねて、分配することにした。母親の老後資金となる予定だった金が手つかずで残っているので、かなりの金額となっている。

貧困家庭出身で、しかも10年以上に渡って病気により何度もキャリアが分断された40代前半の男が残す財産としては、驚くべき金額と言ってよいだろう。自分がどれだけ頑張って生きてきたか、この残り財産が評価してくれているような気がする。

本当によく頑張って、諦めずに生き抜いた人生だったと思う。

 

先ほど近所の公園で桜を見てきた。

桜を見るといつも、希望に満ちて幸せだった頃を思い出す。

見納めになるかも知れない桜は、今年も変わらず穏やかに咲いていた。

来年も、僕がいなくなってからも、変わらず穏やかに咲き続けるのだろう。