30代がん闘病記

2014発病・入院・結婚 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院→2025最終章

2025/5/2 GWの今日は雨だった

GWの中日。今日は雨である。

母親は雨の日が好きだと言っていた。

当時の僕にはよく分からなかったが、今ならば少しは分かる気がする。雨が降っているとなぜか心が落ち着くのだ。最近はYoutubeで、川のせせらぎの音やたき火の音をずっと流していたりする。自然の奏でる音というのは心を落ち着かせる。何より今の僕にとっては、耳鳴りが気にならなくなるのがよい。

僕はこのGW、体力的・精神的にきついので、どこにも出かけず自宅に籠りきりである。雨が降っていると、GWというのに自宅で何もせずに籠っていることを正当化できるのもよい。気にし過ぎだと思われる方もいるかもしれないが、病気で療養期間中、平日の昼間に出歩ていると、ねっとりとした視線を感じることがあった。独身男が何もせずに一人で外にいる、ということだけで社会的には脅威なのだ。

ということで、雨の日のGWは自分が何もしないことを正当化できる気がして、少し気分が楽である。最近は精神安定剤の効果もあり、精神的には一時の落ち着きを見せているのもあるかもしれない。

 

さて、上で書いた理由もあり、雨の日は母親のことを思い出すことが多いのだが、母親の息子が僕であったことは、彼女にとって幸福だったのだろうか。

何度か書いたことがあるが、僕の実家は貧困家庭に近かった。

いわゆる「不幸の再生産」をするしかない家庭環境ではあったが、僕には「頭脳」という天から授かった奇跡があった。なぜか勉強だけは何の苦もなくできた。中学ではトップだったし、高校で地元の進学校に入ってからも、授業以外に特に勉強をしていないのに、上位層に食い込めた。地元の旧帝大は一切勉強などせずとも、常にA判定だった。

そして僕は「幸せ」になるために、東京の大学に進学することを決めた。この決断が正しかったのかどうかは、今でも分からない。少なくとも母親は口には出さなかったが、寂しかったとは思う。このとき地元の大学に進んでいれば、就職も地元でして、ずっと母親のそばに居てやれたのではないだろうか。

とは言え、地元に残っていたとしても後悔したのだろうし、どんな選択をしても正解などないのは、この年になるとよく分かっている。

結論から言えば、東京に出たことは僕の欲望を肥大化させるのみで、「幸せ」など生まなかった。周りを見れば金持ちの子息ばかり。上を見ればきりが無いことを思い知りながら、その「上」に到達しようとして、身分不相応な努力を重ね続けた。

就職はとにかく、社会的地位が高く、高給を得られることを基準として選んだ。地元に帰って就職し、両親と暮らすなど、当時の僕の選択肢にはなかった。自分の「欲求」を肥大化させ続ける道を選んだ。

結局、30代前半で1度目・2度目の発病と続き、離婚をして、僕の人生は一旦終焉を迎えた。この病気の発症と無理をして生きたことの因果関係は分からないが、少なからずあるのではないだろうかと思う。

 

その後、福岡に戻って療養を続け、母親と慎ましく暮らしていればよかったものを、高給に目が眩み、全国転勤のある大企業に転職をし、福岡の母親の許を離れてしまった。人生を諦めきれず、また「夢」を見てしまったのだ。そして、また無理をして病気になり、福岡とは縁もゆかりもない土地で闘病を続け、最後は母親を見殺しにして、全てを失った。残ったのは何の意味もない金だけである。

福岡での療養中に、中高時代の同級生に、病気のことをネタにされて、上手く働けていないことを小馬鹿にされた話を以前に書いたかと思う。お前は貧乏人の負け犬らしく、身分不相応な「夢」など見ずに、運命に逆らわず最初からそうやって落ちぶれていればよかったんだよ。俺のような生まれついての上級国民とは住む世界が違うことを思い知ったか。あのニヤついた顔がそう語っているようだった。

でも実際、それが正しかったのかも知れない。僕の出身中学は福岡で一番荒れた学校と言われており、大学まで進学するのは数%ほどだろうか。その他は、地元に残り、高卒で働いて、20代で結婚をするというパターンが多いようだ。東京に出て大きな「夢」を掴まんとしていた20代の頃の僕は、彼らのことを少し下に見ていたのは否定しない。

しかし、両親と同じ地元にいて、家族で助け合いながら狭いコミュニティで生きる。そんな慎ましくも、ささやかな幸せがあるだけの人生で良かったのだ。今思えば、身の丈にあった「夢」を掴んだ彼らこそが正しかったのだ。

 

家族皆で幸せになろうと思って、不相応な能力に振り回され、身の丈に合わない夢を追い続けた結果、僕を含めた家族全員が不幸になってしまった。あれだけ欲しかった金は、もはや使い道も使う気力もなく、数字の羅列にしか過ぎない。今や何の意味もない数字を得るために、僕はどれだけのものを犠牲にしてきたのだろうか。

考えてもどうしようもないのだが、思考は空転し続ける。