30代がん闘病記

2014発病・入院・結婚 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院→2025最終章

2025/5/16 車と僕の寿命

いつの間にか車のリアのエンブレムの一部が剥がれ落ちていた。

 

この車を買ったのは15年以上前、転勤先の愛知にいた頃だ。

実家に車がなかったので、そもそも車で移動するという発想のない僕は、愛知の田舎に転勤してもしばらく自転車で活動しており、周囲からは変り者扱いされていた。しかし、転勤先はそんな僕でも車の購入を考えるほどの田舎ぶりで、このブログによく出てくる友人のK君に中古車ディーラーを紹介してもらい、120万ほどで購入したのだった。

購入時点で既に中古だったので、今やもう四半世紀も前に作られた車だ。最近は車検のたびにそれなりの修理費用が掛かっている。効率を考えると乗り換えたほうがいいのだろうが、この車には廃車にできない思い出が詰まっている。

 

まず僕自身は、自分が免許を取って車に乗れるような人生を送れるとは夢にも思っていなかったので、車を持てて非常に嬉しかったのを覚えている。自分も他の人と同じような普通の人生を送る資格があるのだ、と肯定されたような気がしたのだ。

そして、愛知から東京に戻ったときは、維持費がかかるので、しばらくは福岡の母親に預けていた。母親も人生で初めて車を持てたのが嬉しかったようで、とても大事にして、色々なところにドライブに出かけていた。職場でもかっこいい車と言われるのが自慢だ、と何度も言っていた。

僕が1度目の発病後に福岡で療養していたときは、元妻とパグも含め家族で色々なところに出かけた。僕が2度目の発病で九州がんセンターに入院していたときは、この車で母親に送迎をしてもらっていた。退院後、体調が戻らず、離婚もして精神的にも落ち込んだ僕を元気付けようと、ドライブに連れ出してくれたりもした。

その後、何とか体力も精神も復調した僕は転職に成功し、通勤に使うために再び僕の相棒となって今に至っている。

 

希望に満ちた頃に手に入れた、楽しい思い出も、苦しい思い出も、全て詰まったこの車。自分の人生そのものである。満身創痍なその姿を見ていると、まるで自分自身を見ているようで、無性に胸が苦しくなる。エンブレムの剥がれた箇所に手を当てると、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。

 

相棒、限界だろうけど、もう少しだけ頑張ってくれるかい?

もうすぐ全てが終わるから、終わったら一緒にゆっくり休もう。