完全なる孤独である。
家族にも社会にも必要とされない人生。
頭痛とともに目覚め、取りたくもない流動食を流し込み、数々の痛みや後遺症に耐えながら、痛み止めと精神安定剤を飲んで、一日中薄暗い部屋で過ごす。もはや曜日の感覚も無い。体重は10kg近く落ちた。話したくても声が出ないので、怖くて人と接することができない。何のために生きているのか分からない日々の繰り返し。
父親は上手く社会に適合できない人で、最後までまともな定職に就いたことがなかったが、彼は彼なりに苦しんでいたのかもしれない。昔は軽蔑していたが、社会に居場所がない辛さは、今の僕は誰よりも理解できる。
結局、父親は50代後半でガンに罹り、そのまま亡くなったが、母親(祖母)も、妹(叔母)も、妻(母親)も、息子の僕も最期まで病床に居た。それなりに幸せな死に様だったのではないだろうか。
一方、僕は40代前半で、父親とほとんど同じ状況ながら、周りには誰もいない。軽蔑していた無軌道に生きた父親よりも、圧倒的に絶望的で哀れなこの人生の末路。僕の生き方の何が悪かったのだろうか。人の道から外れたことなどないし、誠実に生きてきた自負もある。一体、僕が何をしたというのか。誰にも必要とされていないのに、苦しみに耐えながら生きる意味はあるのだろうか。
朝が来ないことを祈りながら眠りにつくだけの日々。
一体何のための人生だったのだろうか。