母親の三回忌であった。
一周忌の時も同じようなことを書いていた気がするが、あれからもう2年経つ。早いものだ。あの時の僕は全てがボロボロで、2年後は到底生きていまいと思っていたが、不思議なものでまだ生きている。
生きていることを喜ぶべきなのかは分からない。様々な障害を背負いながら、苦しみに苦しんで、何のために生きているのかを自問自答する日々だ。
さて、法要の場所は福岡なので、新幹線で移動する必要がある。
普通の人なら日帰りで何のことはない用件だろうが、今の僕にとってはかなりの重労働である。体力を温存するためにホテルで前泊をし、慎重に体調を整える。
当日、いざ寺で三回忌の法要が始まると、これが誰のための法要なのか分からなくなってきた。まるで自分の生前葬をやっているような気持ちになってしまったのだ。すると、読経が始まってから雨が降り出し、終わるころには降りやむという、僕にとっては少し不思議な出来事があった。母親は雨が好きだったから、雨を降らせてくれたのかもしれないな、と少し気分を持ち直すことができた。
法要が終わって、料亭に移動すると、大谷翔平が10奪三振の上、3本塁打を放ったというニュースが飛び込んできた。おかげで会食の雰囲気も明るくなり、三回忌のいい思い出となった。最後は出ない声を何とか絞り出して挨拶をし、無事に散会となった。
次は七回忌だが、さすがにそれまで生きてはいまい。もう誰かのために、何かをする義務も責任もない。これで僕がこの世でやるべきことは全て終わったのだ。後は自らの終末に向かって淡々と準備を整えるのみだ。
翌日、喪服をクリーニングに出しに行った。葬儀に行った後はすぐに喪服をクリーニングに出すことにしている。清めという意味もあるし、使う機会がしばらくはないことを願うゲン担ぎの意味もある。この喪服で父親・祖母・母親の葬儀に参加した。これ以上、この喪服を他の誰かの葬儀で着ることは御免である。
次にこれを着るのは自分自身の葬儀、棺桶の中の僕であればと思う。