30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

2023/9/22 退院日(2-1クール目)

いよいよ退院である。24日間も入院していたのだ。

退院の手続きを済ませてコインパーキングに向かうと、車のフロントガラスに何か紙が貼ってある。事前に1週間は停めるとの申請はしていたものの、それを遥かに超える期間停車しているので、契約違反の旨の警告書であった。入院がここまで延びてしまうとは予想できなかったのでどうしようもないのだが、こちらに非があるのは明らかなので素直に反省する。短期間で複数車の利用を前提としているコインパーキングに1台が長期間停めてしまうと、ビジネスモデルが成り立たないのだろう。

さて、心配は3週間近く動かしていない我がポンコツ車のエンジンがかかるかであったが、キーを捻ると素直に動いてくれたので安心した。20年選手だが、何だかんだで僕よりよっぽど元気な車である。ここまで来ると人生の相棒感もある。このご時世に反して燃費は滅法悪いのだが、そこにまた愛着が持てる。

また、かなり頑丈な車であり、まともに修理した記憶は一度しかない。ただ、その一度はビッグモーター絡みで、修理代をボッタくられたという残念な記憶である。調子の悪い車を保険会社に依頼してレッカー車で運んでもらったところ、移動先が保険会社の契約工場であるビッグモーターであり、修理費として20万を請求された。既に移動されてしまっている手前、足元を見られたのだろう。高いと思いつつも払わざるを得なかった。

しかし、天網恢恢疎にして漏らさず。世の中に悪は栄えないのだ。

 

さて、相棒に乗っての帰宅である。久々の運転なので慎重に慎重に。長期間放っておいたにもかかわらず相棒の調子も悪くない。今は体を自由に動かせないので、車に乗っているときだけが自由を感じられる瞬間である。

無事に自宅に到着し、玄関を開けると郵便物が溢れかえっている。受取期限を過ぎて返却されてしまった宅配便などの不在票も多数あり、手続きをしなければならないが、今日はもう疲れ果てている。明日以降に諸々考えることにしよう。

そして布団に飛び込んで泥のように寝た。

2023/9/21 入院23日目(2-1クール目)

何とか明日退院できそうだ。

とは言っても、抗生剤を打っても熱は下がり切らず、原因もよく分からないまま、見切り発車的な退院ではある。耳鼻科の先生に術後の副鼻腔を診察してもらったが、特に膿んでいるとか、炎症を起こしているということはなかった。原因はよく分からないまま、頭痛は収まらず、熱が出続けている。もっとも、一時は38度近い熱が1週間近く出続けたのが、最近は37度台前半に下がってきてはいるので、原因は分からないものの、落ち着きつつあるとは言える。

史上最長の入院であった。とにかく疲れた。

数日自宅で過ごして、またすぐ入院である。

2023/9/17 入院19日目(2-1クール目)

副鼻腔で炎症が起きているようだ。

さらに退院日が遠のいてしまった。

毎日抗生剤を打っているのだが、炎症は収まる気配がない。副鼻腔が痛みだして、頭痛になり、熱が上がるというのが毎日のパターンだ。毎日の繰り返しなので、最近はずっとベッドで頭を冷やしている。苦しい。

ステロイドを注射してもらったところ、てきめんに効果が出て、炎症が収まってかなり楽になったのだが、ステロイドは免疫も下げてしまうため、余り使用しないほうがよいとのことで、使用中止命令が出てしまった。痛みから逃げる手段が無くなってしまったので残念である。カロナールを飲んで凌ぐしかないのだが、所詮はカロナールなので効果もたかが知れている。患者としては、一時的な手段に過ぎないとしても、苦痛からの逃げ道は残して欲しかったところである。

2023/9/11 入院13日目(2-1クール目)

採血で白血球の値を検査したところ、予想外に下がっていることが分かった。これは危険だということで、白血球の値を上げる注射を打つことになった。熱も38℃近く出ているので、抗生剤も打っている。

本当に体が弱り切っている。もうボロボロなのだろう。

明日退院予定だったが、また延期となってしまった。

かなり精神的にも参ってきている。