30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発

12/11 種の保存四たび

がん治療前に精子を保存した病院で診察を受けに、東京に行ってきた。

前回の2回については、遠隔地に住んでいることや体調が悪いことを理由に、電話での診断で2年の延長を了承して貰っていたが、流石に今回は来て欲しいとのことだった。コロナ禍の最中に東京に行くのは正直気が進まなかったが、コロナの収束がいつになるか分からない以上、いつまでも先延ばしにするわけにもいかないため、徹底的な感染予防をすることを条件に会社に東京移動の許可を貰ったのだ。

 【2014年】

【2016年】

【2018年】

 

診察自体は10数分で終わった。印象的だったのが、離婚の時期をやたらと詳細に聞かれたことだろうか。最近、離婚後の夫の精子を勝手に使って、元妻が出産したという裁判で、元妻側に損害賠償判決が下ったが、その影響があるのかもしれない。

また、僕自身も確認しておきたいことがあった。保存している精子を使うには、生殖能力が喪失していることが要件ではないという確認だ。先生が言うには、別に生殖能力があっても、保存した精子を使うのは、法律上も倫理上も問題がないとのことだった。となれば、その「機会」があれば、当然30代前半の頃に保存した精子を使うのが望ましいだろう。その相手に恵まれるのかどうかは全くの別問題として。

 

そして、この日記を書くにあたって、病気になってからの6年間の日記を読み返してみたが、本当に色々あったなぁと思い返している。ほとんどが絶望的な出来事ばかりだったけど、僅かな希望の光を諦めずに辿り続けた6年間だったと思う。

僅かな希望があれば、人間は生きていける。僕の精子も、使う使わないは別として、「使える」という可能性があるだけで、僕は生きる希望を持つことができるのだ。

11/27 定期検査の結果

半年に一度のがんセンターでの定期検査を受けに地元に戻って来ている。結果から言えば、がんについては転移などはなかったものの、左の鼻腔に膿と思しき溜まりがあるとのことで、念のため1か月後の再検査となった。おそらく蓄膿だろうということで、そんなに大ごとではないのだが、初めての再検査となり、軽く動揺をしている。

 

僕のがんがある副鼻腔というのは、人体で最も菌が入りやすい部位らしく、その部位に陽子線を当てて弱らせているといるため、影響は避けられないだろうとのことだった。確かに、未だに鼻毛も生えてこないし、鼻水も止まらない。毎日、大量の生理食塩水で鼻洗浄はしているものの、菌の影響をもろに受けているのは間違いない。

ついでに、陽子線を当てた患者の向こう数十年の影響について見解を先生に伺ってみたが、20~30年後は見たことがないとのこと。そもそも、陽子線を当てた患者が、20~30年も生きていることも無いだろうから、サンプルがないのだろう。

 

ということで、直接的ではないものの、間接的に「死」について考える久々の機会となった。数年後には死ぬという状況ではないものの、自分の人生は人より確実に短いということを常に意識しておかねばならない。

10/1 すまじきものは宮仕え

読者の皆様、ご無沙汰しております。とは言っても全く更新していないので、どれほどの方が訪問してくれているか分かりませんが。病気に関しては、半年に一度、がんセンターで診断を受けており、今のところ再発はありません。もう病気とは余り関係がなくなりつつありますが、近況でも書いてみようと思います。

いつも書いておりますが、事実をありのままに記載しているだけであり、特段、自慢をしようという意図はありません。ガン患者でもそれなりにやっていけるという事実として、読んで頂けますと幸いです。(変な絡み方をしてくる方もいるので、こういった前置きをしなければいけないのが面倒ではありますが)

 

転職して1年半になるが、先日、役職に昇進した。心境的には「昇進してしまった」と言ったほうが近いかもしれない。半沢直樹の世界ではないが、今いる会社は合併に合併を繰り返した、典型的な官僚組織の超大企業であり、自分のような中途採用(しかもガン患者)は、まず出世しないと思っていたので、正直かなり驚いた。

これだけ早くに評価されたことをそれなりに嬉しく思うも、一方で「計画が狂ったなぁ」という気持ちもあり、そちらのほうが大きいかもしれない。一従業員として、組合に守られながら、働けなくなるところまで淡々と働き、病気のためにお金を貯める。自分の中ではそういう計画だったのだ。しかし、ガン患者にもかかわらず採用してくれた方々の顔を潰さないようにと、それなりに頑張ってしまった。それ故の結果だろうが、少し早すぎるように思う。役職者なので組合にも守ってもらえなくなる。

正直なところ、中間管理職のような板挟みになるのは、自分の体力面からは少しきつい。また、今の職場は、一回設備を止めると何億円の損失とかそういう世界なので、設備トラブル時の精神的なストレスがかなり大きい。体力面・精神面から、そう長くは続けられないだろうと思っているので、弁理士資格を盾に知財部への異動を何回か試みているのだが、毎回上司と上層部に説得されて、失敗している(笑)

何より、中途採用のよく分からないヤツという昇進前の周囲の態度が、昇進後に露骨に変わってきているので、それが人間の醜い部分を見ているようで一番嫌だ(笑) 

8/31 歯車

最近は更新頻度も少なく、申し訳ありません。相変わらず定期的に訪れて頂いている読者の方も多いようで、有難い限りです。少し古い話ですが、今年の8/31に思ったことを書きかけで、忙しさにかまけて放置していたのですが、一応完成させてみました。

 

突然だが、歯車は素数の組み合わせでできている(正確には互いに素だ)。各々の歯車に悪い箇所があった場合、例えば公約数のある40と50の組み合わせなら、最小公倍数である200回転に一度出会うことになり、高い頻度で悪化が促進される。一方で、例えば互いに素である40と51の組み合わせなら、出会うのは2040回転に一度であり、延命することができるといった具合だ。

自然界にも同じような仕組みはあって、素数セミも有名だろうか。同じ地域に、17年あるいは13年に一度しか発生しないという規則性を持つセミのことだ。即ち、最小公倍数の221年に一度しか同時に地上に出ることはないため、お互いに資源を食い潰し合うことが少ないというわけだ。

そして、この日になると思い出す。天国のように青く抜けた空と、地獄のように暑かった、3年前のあの退院の日を。あの日のセミは、退院を称える讃美歌のように、これから僕が味わう絶望を暗示する鎮魂歌のように、鳴いていた。

  

あの退院後、僕は離婚をすることになった。普段は離婚について特に思い返すこともないし、別に後悔もない。でも、けたたましいセミの鳴き声を聞くと、ふとしたタイミングで色々と思い出すことがある。思い返せば、3年前の今頃は、お互いの歯車の悪い部分が重なりに重なり、もうどうしようもなかった時期だったのだろうと思う。

今の僕はボロボロな歯車一つでコロコロと転がっている。上っているのか、下っているのか、よく分からない。まぁ今はできることを淡々とこなしていくしかない。

8/16 帰省中

ご無沙汰してます。最近は色々あり更新をサボっていましたが、その間もそれなりに訪問してくれる人も多くて有難い限りです。今は実家の福岡に帰省中です。余り書くことは多くありませんが、僕のブログの場合は特性上、書くことが多くない方がいいのだ、と言い訳をしつつの近況報告を。

 

帰省ですることと言えば、墓参りをしたり、親戚に会うくらいのもので、正直なところ独身の僕は余りやることはない。友人の大部分は東京にいるから、特段会うべき友人もいない。じゃあ何で戻ってくるのかと問われると、やはり落ち着くからだろう。

僕の福岡時代は、貧乏生活、父親の鬱病とがん闘病からの死、そして、僕ががんの療養で戻って来てからは九州がんセンターへの再入院と離婚など、はっきり言っていい思い出がないのだが、戻ってくると落ち着くから不思議なものだ。

そして、福岡で夏を過ごしていると、3年前の今頃を思い出す。実家の近所の道を歩きながらセミの鳴き声を聞くだけで突然フラッシュバックするのだ。あの九州がんセンターでの絶望的な日々を。仮に生き残っても人生は確実に終わったと思い込んで、死んだ方がマシだとまで追い詰められた絶望的な状況から、よくぞここまで復活したものだと自分でも思う。そのへんの陳腐なドラマよりはドラマチックな人生だろうか。ドラマにするには余りに地味で余りに陰鬱ではあるが。

 

さて、転職して半年程経つが、仕事はといえば、淡々とこなせている。今のところ病気などの体調不良で仕事を休んだことはない。早寝早起きを心掛け、暴飲暴食はせず、適度な運動をして、風邪すら引いたことがない。普通の人よりも健康的な生活を営んでいる。がん患者であるがゆえに、努めて健康的な暮らしを営めているとは何とも皮肉なことだ。

とは言え、いつまで仕事をできるのだろうかという不安は常にある。体力的にどれくらいまで持つか不安ではあるし、がんが再発しないとも言い切れない。会社側や上司は定年まで居る前提で話をしてくるのだけど、そんなときはどう返答していいのか、苦笑いしてしまう。どこまでできるかは分からないが、できる限りは頑張ってみるつもりだ。

 

とまあ、何のひねりもない近況報告ですが、何とかやっています。