母親の初命日である。
思い出しながら文章を書いていると、病気で自分のことばかり気にしていたため、母親の体調まで気に掛けてあげられなかったことなど、様々な後悔がよぎる。
1年前の今頃の僕は、強力な抗がん剤の投与を終え、ベッドの上で横になっていた。母親とは朝8時にメールでやり取りをすることにしていた。これはどちらかと言えば僕の方の安否確認の意味合いが強かったのだが、その日に限っては母親からの返信が無い。
昼になっても返信が無いため、気になって電話を掛けてみるがやはり反応が無い。嫌な予感がして、家の隣の方に電話をしてインターホンを鳴らしてもらったが、やはり反応が無く、新聞もポストに入ったままとのこと。これはまずいかもしれない、と119に電話をして福岡の消防と連絡を取り、家の中に入ってもらったところ、中で母親が倒れていた。
翌日、新幹線に乗り、駅からタクシーで病院に駆けつけた。ICUに飛び込むと、ベッドには管をつけた母親が横たわっていた。その姿を見た僕は、体調の悪さも相まってその場にへたりこみ、母親の手を握りしめ「ごめんね、ごめんね」と人目もはばからず何度も泣きながら繰り返した。奇跡的に生きてはいるが、もう助かる見込みは無かった。
それから母親が死ぬまでの数週間、毎日病室に通い「その日」を待った。毎日毎日、白塗りの病室に通っていると、今が何月何日何曜日なのか、自分が何者なのか、何をしているのか、何のためにここにいるのか、目の前で寝ている人が本当に自分の母親なのか、これが本当に現実なのか、分からなくなる。定期的に来てくれた叔母と話しているときだけ、正気を保っていられたような気がする。
もう見込みが無いのなら早く楽になって欲しいという感情と、お願いだから死なないで欲しいという感情がせめぎ合っていた。
そして、幸運にも、と言うべきだろう。その瞬間を看取ることができた。
17時頃、母親の血圧と脈拍が急激に下がっていく。父親を看取ったときと同じだ。もう駄目なのだろうな、と思いながらも、母親の手を強く握ると温かい。温かいのだ。まだ生きているのだ。目の前で起きていることが現実のものとは思えない。僕の唯一の肉親で、この世で一番大切な人が、目の前で死んでいくという信じられない現実。
いつも優しかったお母さん
どんなときでも僕の味方だったお母さん
泣き虫だった僕をいつも慰めてくれたお母さん
優しすぎて貧乏くじばかり引いていたお母さん
真面目すぎて生き方が下手くそだったお母さん
人の悪口を絶対に言わなかったお母さん
父親を最後まで見捨てなかったお母さん
大好きだったお母さん
病気ばかりして心配かけてごめんなさい
離婚して孫の顔を見せられなくてごめんなさい
病気が苦しくて辛くあたってしまってごめんなさい
倒れたときそばにいてあげられなくてごめんなさい
僕はお母さんにとっていい息子でしたか?
様々な感情が涙と共にとめどなく溢れ出てくる。
臨終の宣告ともに現実に引き戻されると、いつの間にか外は暗くなっていた。