30代がん闘病記

2014発病・入院・結婚 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院→2025最終章

2026/1/31 体重

嚥下障害によって食事がまともに取れないせいで、体重が下がり続けていたが、やっと下げ止まったようだ。体格的・骨格的にこれより下がりようがない、という下限まで到達したのだろう。BMIで言えば16.5程度なので、まさに病的に痩せている。

不思議なもので身体も現在の食事量に適応し、そんなに食事を取らなくてもお腹は空かなくなった。現在の摂取カロリーと脂肪・筋肉が落ちた状態の基礎代謝のバランスが取れているということなのだろう。仕事も今でも一応はフルタイムで働いてはいるが、ほとんど席から移動しない事務仕事がメインなので、何とかこなせてはいる。

しかしながら、脂肪も筋肉もないので、とにかく寒い。職場では上下にヒートテックを着て、その上からトレーナーを着こんだ状態で制服を着用し、さらに暖房の真下の席にしてもらっているのだが、それでやっと耐えられるくらいまで寒さに弱くなっている。

身体から生きるエネルギーが放出されていない。

文字通りの生ける屍である。

 

ここで引き合いに出すのが正しいのかどうか分からないが、現在の片岡鶴太郎氏のような風貌である。それでいて僕は身長がかなり高いので、傍から見たら巨大なナナフシのように見えているのではないかと思う。

これでも20代の頃は、新宿や渋谷でよくモデルにスカウトされていたくらいの容姿ではあったのだけど、今はもう不健康な病人そのもので、見る影もない。

 

自己肯定感を高めるために、少し昔の自慢をしてみた。

哀れな男の最後の見栄と思って、何卒ご容赦を。

 

2026/1/25 確定申告

今年も確定申告の時期が来た。

去年の確定申告はかなり面倒だったことを思い返す。

仮想通貨の雑所得や医療費控除などもありつつ、最終的には支払いも還付もない0円に収めることができたのだが、その中でも土地関連の書類の準備が大変だった。

母親から相続した田舎の二束三文の土地の持ち分50%を権利放棄して、伯父の100%持ち分としたのだが、結局税務上は贈与扱いとなってしまい、その他諸々の事情も重なり、土地の譲渡に係る確定申告をする羽目になったのだ。権利放棄などという小手先ではなく、最初から贈与契約にしておけば、二度手間・三度手間にならなかっただろうに。

競争のない田舎の司法書士にとっては、「いかに手続きを簡単に済ませて、手数料を取るか」それだけを考えていても、商売は成り立つのだろう。目先の手続きさえ終わればそれでよく、その後に発生するかもしれない税務上の問題まで想像して、顧客に価値を提供しようとする必要はない。

そんな構造があるからこそ、今回のように後になって余計な手間や申告が発生してしまう。母親が長い時間を過ごしたであろう地元の、人の流れも競争もない過疎の風景を思い出しながら、なんとも言えない気持ちになった。

 

さて、寡聞にして、税理士以外で確定申告を好きだという人を聞いたことがないが、僕は正直そんなに嫌いな作業ではない。準備は日頃からしているので、申告作業の段階で段取りは9割は終わっているのだ。だから去年のような複雑なものでなければ、大抵1時間程度で終わってしまう。

確定申告は、一気に最初からやろうとするから大変なのであって、前回の手順を簡単で構わないから残しておき、細かいタスクに分割して日頃から進めていけば、仕事と同じでそんなに大した作業ではない、と僕は思っている。(異論は認める)

結局、確定申告も人生も、こまめに整えておくのが一番楽なのだ。

今年は、寄付金控除・医療費控除・米国株配当の外国税の還付に係る申告である。医療費控除も、僕の場合は医療費自体が数10万に上るので、還付額も結構な額になる。

証券会社や健康保険組合から入手したXMLを読み込ませ、前回の手順を見ながら処理を進めると、作業を開始して1時間もかからずに終わってしまった。還付額は12万円ほどだったので、時給12万円のオイシイ仕事である。

僕は本当にこういう作業が得意だよなぁと、毎年同じことを思う。弁理士などではなく、本当は税理士や公認会計士のような、数字を扱う職業のほうに適性があったのではないか、と人生を振り返るのがこの時期のお決まりだ。

 

そして、もう長くは生きないだろうに、確定申告でもはや使い道のないお金を取り戻すことに何の意味があるのだろうかと考える、これも毎年この時期のお決まりだ。

まぁ最期まで現実的に生きるのが、僕らしくていいのかもしれないね。

今年も無事に終わった。それだけで十分だ。

 

2025/12/31 正解は一年後

テレビを全くと言っていいほど見ない僕だが、「M-1グランプリ」と「クイズ 正解は一年後」は年末行事として欠かさず見ることにしている。

「M-1グランプリ」は、もちろんコンテンツ自体が圧倒的に面白いから見ているのだが、年齢が自分と同じくらいの人がチャンスを掴み、人生を逆転させていく姿に強いカタルシスを覚えるのも大きい。ドキュメンタリーを見ているかのような胸を打つ瞬間がある。大人が人生を賭けて全身全霊でぶつかり合う、甲子園的な闘いが単純に好きなのだ。

「クイズ 正解は一年後」は、年初にこの1年間で何が起きるかを予想して、年末に答え合わせをするという番組だ。途中からボケ倒しの大喜利大会になるのもお約束で、クイズとバラエティとお笑いのバランスがとても絶妙だ。出ている芸人が全員好きなのと、あまりにバカバカしくて心の底から笑えるので、見ている間は苦しい現実を忘れられる。

何より、この番組は「時間」という最も貴重なものを丸々1年使って作られている。そのこと自体が、あらゆるものが一瞬で消費されていくこの世の中に対する、アンチテーゼのようにも思える。時間の貴重さを、身をもって知るようになった僕だから、そう強く感じるのかもしれない。

 

今年は病気が悪化して、声が出なくなって、食べ物も食べられなくなって、人生で最悪の一年だった。ここ数年は毎年、人生最悪の年を更新し続けている。よくまだ生きているなと自分でも思う。もう、この延々と続く罰のような人生から、赦されたい。

 

僕は来年もこの番組を見ることができるのだろうか。

さて、「正解は一年後」

 

2025/12/21 年賀状じまい

今年で年賀状じまいをすることにした。

以前から年賀状じまいをする旨の年賀状や、その連絡を受けることが多くなっており、僕もその機会をうかがっていた。母親の死があり、年賀状の代わりに訃報の連絡状を送らなくてはいけなくなったりで、なかなかタイミングがなかったのだけど、色々と落ち着いた今回が最適なタイミングだと判断したのだ。

 

とは言っても、完全に終わらせるわけではない。母親が亡くなってから、親戚への年賀状の挨拶は僕が出しているし、一部はまだ心を込めた年賀状のやり取りをしている人はいるので、大切な人だけを残すことにしたのだ。

まず、誰にでも書いているような文章をコピペで送ってくるような人や、こっちが送ってから送り返してくるような人、もう会うこともないだろうなと思う人には、年賀状じまいの挨拶もせずに送らないことにした。

そして、定期的に連絡を取り合いながらも年賀状を送っていた人、お互い会おうと言いつつも本当に都合が合わなくて会えていない人については、今回まで年賀状を送り、年賀状じまいの挨拶を丁寧に書いて終わることにした。この人たちは別の連絡手段があるので、年賀状が途切れても問題はない。

結局残ったのは、親戚以外は、東京の友人1人・福岡の友人1人・高校時代の恩師1人・愛知の知人2人だけとなった。この友人2人と高校の恩師にはずっと世話になっているし、これから人生の終局に向けて世話になる可能性もあるので、感謝と礼儀を込めて人生の最後まで送ることにした。

結果として送る件数が半分くらいになり大分楽になったし、数が少なくなった分、文章を心を込めて書けたので、終活の一部としてやって良かったと思う。

 

しかし、今年は持たないだろうと思っていたが、まだ生きていて今年も年賀状の準備をしている。死ぬ死ぬ詐欺ではないが、今年で終わりだろうと思いつつも、だらだらと生き延びてしまうのだ。障害ばかりで生きているのは苦しいから、スパッと終わって欲しいのだが、来年はどうだろうか。

 

2025/10/18 三回忌

母親の三回忌であった。

一周忌の時も同じようなことを書いていた気がするが、あれからもう2年経つ。早いものだ。あの時の僕は全てがボロボロで、2年後は到底生きていまいと思っていたが、不思議なものでまだ生きている。

生きていることを喜ぶべきなのかは分からない。様々な障害を背負いながら、苦しみに苦しんで、何のために生きているのかを自問自答する日々だ。

 

さて、法要の場所は福岡なので、新幹線で移動する必要がある。

普通の人なら日帰りで何のことはない用件だろうが、今の僕にとってはかなりの重労働である。体力を温存するためにホテルで前泊をし、慎重に体調を整える。

当日、いざ寺で三回忌の法要が始まると、これが誰のための法要なのか分からなくなってきた。まるで自分の生前葬をやっているような気持ちになってしまったのだ。すると、読経が始まってから雨が降り出し、終わるころには降りやむという、僕にとっては少し不思議な出来事があった。母親は雨が好きだったから、雨を降らせてくれたのかもしれないな、と少し気分を持ち直すことができた。

法要が終わって、料亭に移動すると、大谷翔平が10奪三振の上、3本塁打を放ったというニュースが飛び込んできた。おかげで会食の雰囲気も明るくなり、三回忌のいい思い出となった。最後は出ない声を何とか絞り出して挨拶をし、無事に散会となった。

次は七回忌だが、さすがにそれまで生きてはいまい。もう誰かのために、何かをする義務も責任もない。これで僕がこの世でやるべきことは全て終わったのだ。後は自らの終末に向かって淡々と準備を整えるのみだ。

 

翌日、喪服をクリーニングに出しに行った。葬儀に行った後はすぐに喪服をクリーニングに出すことにしている。清めという意味もあるし、使う機会がしばらくはないことを願うゲン担ぎの意味もある。この喪服で父親・祖母・母親の葬儀に参加した。これ以上、この喪服を他の誰かの葬儀で着ることは御免である。

次にこれを着るのは自分自身の葬儀、棺桶の中の僕であればと思う。