30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発

8/16 帰省中

ご無沙汰してます。最近は色々あり更新をサボっていましたが、その間もそれなりに訪問してくれる人も多くて有難い限りです。今は実家の福岡に帰省中です。余り書くことは多くありませんが、僕のブログの場合は特性上、書くことが多くない方がいいのだ、と言い訳をしつつの近況報告を。

 

帰省ですることと言えば、墓参りをしたり、親戚に会うくらいのもので、正直なところ独身の僕は余りやることはない。友人の大部分は東京にいるから、特段会うべき友人もいない。じゃあ何で戻ってくるのかと問われると、やはり落ち着くからだろう。

僕の福岡時代は、貧乏生活、父親の鬱病とがん闘病からの死、そして、僕ががんの療養で戻って来てからは九州がんセンターへの再入院と離婚など、はっきり言っていい思い出がないのだが、戻ってくると落ち着くから不思議なものだ。

そして、福岡で夏を過ごしていると、3年前の今頃を思い出す。実家の近所の道を歩きながらセミの鳴き声を聞くだけで突然フラッシュバックするのだ。あの九州がんセンターでの絶望的な日々を。仮に生き残っても人生は確実に終わったと思い込んで、死んだ方がマシだとまで追い詰められた絶望的な状況から、よくぞここまで復活したものだと自分でも思う。そのへんの陳腐なドラマよりはドラマチックな人生だろうか。ドラマにするには余りに地味で余りに陰鬱ではあるが。

 

さて、転職して半年程経つが、仕事はといえば、淡々とこなせている。今のところ病気などの体調不良で仕事を休んだことはない。早寝早起きを心掛け、暴飲暴食はせず、適度な運動をして、風邪すら引いたことがない。普通の人よりも健康的な生活を営んでいる。がん患者であるがゆえに、努めて健康的な暮らしを営めているとは何とも皮肉なことだ。

とは言え、いつまで仕事をできるのだろうかという不安は常にある。体力的にどれくらいまで持つか不安ではあるし、がんが再発しないとも言い切れない。会社側や上司は定年まで居る前提で話をしてくるのだけど、そんなときはどう返答していいのか、苦笑いしてしまう。どこまでできるかは分からないが、できる限りは頑張ってみるつもりだ。

 

とまあ、何のひねりもない近況報告ですが、何とかやっています。

6/8 近況報告・その他

諸事情によりコメント欄を無くしました。

このブログって僕が発病して、人前では言えない感情を吐露してきた場所でしたから、人間の醜さを体現したような内容もあります。

さらに、僕の文章って婉曲とか反語を好んで使うので、分かりにくいことは事実です。自分でも回りくどい文章書くなぁって思いますもんね。文章の真意が伝わらず不愉快になった方がいるのでしたら申し訳ありませんでした。

 

検査結果は現状維持の可もなく不可もなくです。

サドンデスの恐怖は薄れましたけど、漠然とした「死」への恐怖は中々消えないですね。体力的・精神的に中々大変ですが、希望を捨てずに引き続き頑張ります。

5/1 ゼロサム世代

大変ご無沙汰しております。

いよいよ新時代「令和」を迎えましたね。僕は数年前までは、来年を迎えられるかどうかという状態が続いていたわけで、新しい元号を迎えるまで生きることができたとは何とも感慨深いものがあります。

さて、更新がなくご心配頂いた読者の方々も多いかと思いますが、特に更新する内容もない淡々とした日々を送っていました。今は福岡に帰省中ですが、特にやることもなく、のんびりとしたGWを過ごしています。

 

最近はブログにも、よく分からないコメントを頂くことも多くなって、正直なところ更新が億劫になっていました。何かよくわからない怒りに近いものをぶつけられることもありました。ニュアンス的には、人生上手く行ってるのに何でそんなに悩んでるんだ、的な感じでしたかね。別に今は上手く行ってても、人生の意味を考えたっていいと思うんですがね。ブログってのは元来そういう場所でしょうし。それに、今この瞬間、上手く行ってるとしても、トータルで見たら僕の人生、絶望的なんですから。

そして、降って湧いたような「幸せ」を自慢しているわけではないのは、昔からの読者の方ならよく分かって頂けているとは思うのです。ここまで人生を取り戻すことができ、表面的には一瞬でも「幸せ」を享受できているのは、「運」でも「環境」でもなく、ほかならぬ僕自身の努力の結果であるわけですから。

これから、人よりも確実に残り短いであろう人生で、他人の尺度を基準とした「幸せ」以外に基準を見つけられない、自分に対する苛立ちもあります。こういう、現実世界では絶対書けないような悩みを書けるこのブログは、僕にとって大切な場所であります。僕は絶望的な日々を経て、少しずつ人生を取り戻しながら、もがいています。不幸な人生が見たいだけなら、他のブログに行ってください。

次の更新は、がん検査のある6月ごろですかね。更新なければ、死んだか、がんが再発したか転移したかと思って下さい(笑)

 

これからの世代の人は「令和」らしく「ゼロサム」で、奪い奪われの殺伐とした世代となっていくのですかね。僕らしく皮肉っぽく締めてみました。ではまた。

2/10 弁理士試験と抗がん剤と私

我ながら訳の分からないタイトルだ。

特許制度と製薬業界というのは切っても切り離せない関係にある。薬剤に係る特許は莫大な利益を生み出すため、どんどん新しい判例が出て、議論も活発な分野で題材にされやすい。だから弁理士になって実際に薬剤を扱うかどうかは別として、弁理士試験には薬剤に関する特許の問題が頻繁に出題される。

 

そしてその場合、なぜか抗がん剤が絡められることが多い。

・副作用の強い抗がん剤に特許権を付与することの是非

・既知の物質に抗がん作用を見出した場合に発明となりうるか

・一定の確率でしか効果のない抗がん剤は「発明」の定義にあてはまるか

・抗がん剤を共同開発した場合の特許を受ける権利の帰属

・抗がん剤に係る特許が厚生労働省の処分を受けていた場合の存続期間の延長

…など枚挙に暇がない。

 

例えば、「この抗がん剤を使用すると副作用は大きいが、劇的な抗がん作用がある。」などと空々しいことが問題文に書かれている。それに対して、「極めて副作用の強い抗がん剤は、人体に重大な障害を与えるおそれがあるため公序良俗に反し、公衆衛生を害するため、拒絶理由になるようにも思える(特許法32条、49条2号)。しかし…」などとこちらも白々しい回答を書くわけだ。

しかし、そんなときは文章を書きながら、「そんな奇跡的な抗がん剤があるなら俺に打って欲しいもんだよ。何が公序良俗違反だよ。机上の空論ばっかり並べやがって。この問題を作った奴はクズだ。問題を作成する以前に、人の心を勉強してこい。嬉々として軽々しい気持ちで問題に出しやがって。お前も一度抗がん剤を打ってみるか?抗がん剤の副作用に苦しみながら、効果がなかったときの絶望感を味わってみろよ。」とありとあらゆる罵詈雑言に心の中が支配される。だから、予備校の論文の答練でも、抗がん剤が絡められた問題が出たときは、心が乱されて、大抵点数が低かった。

だから本試験でも出ないことを願っていた。

そして幸いにも本試験では出なかった。

だから受かったのだろうな…と未だに思う。

 

でも何なんだろう。弁理士試験での抗がん剤に対するこのぞんざいな扱いは。製薬に関する問題だと何にでも使えるワイルドカードみたいな扱いになっている。「抗がん剤」ならどんな有り得ない前提条件でも出題が許容されているのもおかしな話だと思う。 

しかし、正直、こんなところでまで抗がん剤との付き合いが続くとは思わなかった(笑)抗がん剤とのお付き合いは、もうこれで最後にしたいものだ。

1/25 三途の川の渡し賃

最近どうしようもない絶望感に襲われることが多くなった。

仕事を頑張ったところで、どうせいつ再発するやもしれない。金をどれだけ稼いだところで、使い途なんてないし、来年には死んでいるかもしれない。…というような、凄まじい虚無感に襲われる。

しかし、年齢的に、病気で死ななかった場合を考えると、今後のために金を稼がないわけにはいかない。だが、病気が再発して、数年以内に死んでしまった場合は、稼いだ金も全ては無駄なものになってしまう。何のために働いているのか分からなくなる。

本当に「三途の川の渡し賃」を稼いでいるような感覚に陥るのだ。

 

そして、ありとあらゆるネガティブが頭の中で空転して、どうしようもなくなる。

嗅覚がないこと、味覚がないこと、リンパ郭清のこと、唾液がでないこと、口がうまく動かないこと、鼻水が止まらないこと、涙が止まらないこと、視力が落ちつつあること、すぐ頭が痛くなること、そして、孤独なこと、一気に苦しい感情が押し寄せてきて、これから一生、不具にして生きていかねばならない絶望感に押しつぶされそうになる。

 

まだ引っ越し・転職して1ヵ月半で環境に慣れていないのもあるし、週末には弁理士の実務修習があって、余り休めていないから、精神的・体力的に疲れているというのも大きいかもしれない。

心が安定するのを待ちながら耐えるしかない。

今まで乗り越えてきたのだから今回も乗り越えられるさ。