30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

10/4 鼻水

放射線終了から42日目。

僕は嗅神経芽細胞腫を発症してから今まで、2年近く鼻水に悩まされている。しかし、今が一番酷い。僕の鼻水は粘度が無いので気を抜いていると、一瞬で垂れ落ちてくる。そして最近はその量が尋常ではない。滝のように流れ落ちて来るのだ。

同じ嗅神経芽細胞腫に罹られた方のブログを見ても、僕のように尋常でなく酷い鼻水量に悩まされているという例は余りない。先生に相談しても、治っている兆候だから如何ともし難いと言われる。確かにアレルギーなどによる類の鼻水ではないので、医者としても鼻せんを薦めるしかないだろう。

 

因みに僕がいつも使っている鼻せんはこれ。

鼻ぽん (お母さん鼻血?) 大サイズ 80個入 ×3個セット

鼻ぽん (お母さん鼻血?) 大サイズ 80個入 ×3個セット

 

1日20個使うとすると、1日当たり100円。1か月だと3000円。

結構馬鹿にならん金額になる。鼻せんが家計を圧迫している。今の僕が日本で一番鼻せんを消費している自信がある。余りに消費するので、直接メーカで購入しようと試みたこともあるが、100箱単位なので断念した。 

 

鼻水の量が多いのは、最近体調が余り良くないのと関係あるかもしれないが、それ以外にも、仕事などで頭を使っていると、すぐに鼻せんの許容量を超え滴り落ちるくらいに鼻水が溢れ出してしまう。

また、重要な書類を書くときは本当に気を遣う。実際、今まで数回ほど書類に鼻水が垂れてダメにしたことがある。だから、書類を書くときは、両鼻にティッシュを丸めて圧縮したものを詰めて、絶対に漏れないようにして書く。人様には見せられない姿だ。

今回再入院する前に、復職して客先に行ったときも本当に苦労した。もう10分ほどですぐに鼻せんの許容量を超えてしまうのだが、失礼なので余り頻繁には差し替えられないので、鼻をすすって耐えるしかない。ポケットティッシュも1日5個は必要で、いっそ鞄の中に箱ティッシュを入れて出歩こうかと思ったほどだ。

いつ会っても鼻をかんでいる社会人なんか信用できないよね?僕もできない(笑)

 

こういう細かいことが地味に精神を疲弊させていくのだ。

9/30 MRI

放射線終了から38日目。

今日は九州がんセンターMRIだ。

今までは東京で受けていたが、この状態では行く体力・気力も無いので、当面は福岡でMRIを受けさせてもらえることになっている。MRIの結果は良好で、僕の腫瘍本体は確実に縮小しつつある。今後の問題は、今回の様にがんが身体の各所に散らばっていないかどうかと言うことだ。

ということで、次回よりCTを上半身全体に掛けてもらえることになった。僕がお願いしようとしていたことを、先生が先んじて提案してくれた。本当に頼りになる先生だ。

 

肩のしこりは特に気にする必要もなさそう。やはりリンパ切除のときに肩の神経にダメージを与えてしまっているので、その影響が大きいようだ。これに関しては、ひたすら動かしてリハビリするしかないらしい。

唾液の量は比較的早いレベルで回復している模様。この調子なら2~3ヵ月で味覚も戻るだろうとのこと。と言うことは味覚が戻るまであと1~2ヵ月か。味覚を失ってから既に2ヵ月半経っている。最初の頃の喪失の苦痛に比べれば、今では慣れてしまってどうと言うことは無い。残り期間も何とか乗り切って行けるはずだ。

 

最後に転移の可能性を先生に訊いたところ、やはり低い確率だけども有り得るとの回答。まぁそうとしか返せないよね。今まで色んな先生方にがんを見つけてもらってきたので、この後にがんの転移が見つかっても、もう仕方がないや…としか僕は思わないだろう。

何事も無く生きて老衰で死ぬって、とてつもない偉業なのだ。今の僕にとっては、サザエさんドラゴンボールよりもファンタジーなアニメだ。

 

MRI=もっと・楽して・生きよう」の略だったらいいのにね。

9/28 肩こり

放射線終了から36日目。

最近肩こりが尋常でない、というか異常だ。リンパを切除しているので、右手全体の動きが悪くなっている。それはリハビリをしていた時から承知の上だが、最近では右腕が肩より上に上がらなくなるときがある。触ってみると、右肩には大きなしこりのようなものができている。背中全体が痛く、咳をしても痛みが走るときがある。

肩から上全体の倦怠感が続き、寒気もして常時37度以上の熱がある。吐き気もする。まさかの再々転移でないことを祈るが、まあそれは考えすぎか(笑)…とは言いつつも、この2年間は考えられないことばかり起こったので、ある程度の覚悟はしておこう。

 

考えてみると僕の場合、首から上は徹底的にMRIやPET-CTによりがんチェックはしているが、首から下の検査は発病してから殆ど受けていない。万が一、首から下にがんがあった場合は見つかるのだろうか。「頭治して尻治さず」になりはしまいか。

今週末、MRIの検査があるので、先生に聞いてみることにしよう。

とりあえずは、この上半身の不調を脱したい。

9/24 朋あり遠方より来る2

放射線終了から32日目。

前職の同期が北九州出張のついでに、博多に寄ってくれた。このタイミングまでに味覚が戻っていることを期待したが、残念ながら殆ど戻っていなかった。味覚が戻っていれば、福岡の美味しいものでも一緒に楽しめたのだが、申し訳ない限りだ。

前職の会社の状況を聞きつつ、もし辞めずに残っていたらどうなっていたのだろうなということを考えたりした。やっぱり海外赴任になってて、病気が見つからずに死んでいた可能性が高いんじゃないだろうかといまだに思う。当時の僕は数年間の海外勤務(恐らくは中国)になりそうなカタパルトに明らかに載っていた。日本国内でも中々見つけられないのだから、海外だとこの病気は絶対に見つかっていない。中国だと特に(笑)

やはり「人間万事塞翁が馬」なのだろうか。

 

入社当時の話になり、同期が持っている写真には、僕の酒の席での醜態を収めたものがいっぱいあるようだ。見たいような見たくないような。でも元気で自分の未来を疑っていなかった頃の写真を見ると、今は何となく辛い気持ちになりそうだから、まだ見ない方がいいだろうな。以前のように酒を飲めるくらいまで回復したら、酒の勢いで見てみたい。まだまだ先の話にはなりそうだけども。

博多駅の改札で固く握手を交わし、復帰を誓う。

亦楽しからずや。

9/22 嗅覚が無い暮らし

放射線終了から30日目。

最近は用事があって、福岡の繁華街である天神に行く機会が多くなった。天神では夕方になると屋台が並びだし、食べ物のおいしそうな匂いを漂わせているはずだ。「はずだ」と書いたのは、僕は病気のせいで嗅覚を殆ど失っているからだ。

嗅覚を失って良かったことと言えば、公衆便所で不愉快なアンモニア臭を嗅がなくて済むくらいだったが、味覚を失っている今は、匂いが分からないことを有り難く感じることもある。焼き鳥・屋台・ラーメン・もつ鍋…もし今の僕に嗅覚があったら、繁華街を歩いているとお腹が空いて空いて、きっと耐えられないことだろう。

 

とまあ、匂いが分からないメリット(?)を感じるのは味覚のない今だけで、嗅覚がない生活というのは何とも味気ないものだ。「味気ない」というのは、食欲を喚起されることが無いという意味だけでなく、人生にも彩りが失われてしまうということだ。

例えば、匂いで季節を感じることは少なくない。春の名前も知らない花のにおい、雨上がりのアスファルトのにおい、夏草を踏みつぶしたときの青臭いにおい、キンモクセイのにおい、銀杏のにおい…。また、実家に帰ったときの何となく懐かしい感覚もにおいによってもたらされるものだが、そういったものも感じられない。においを感じていた時は煩わしいとさえ感じていたものが、今ではとても懐かしく感じる。

人間とはいつも失ってから気付く愚かな生き物だ。