30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

離婚3(現在の心境2)

小林麻央さんのブログに

「ごめんね。病気になっちゃった妻で」

という記述があった。

この気持ちは痛いほど分かる。僕もやはりこの感情に苛まれ、病気である僕と結婚させてしまった元妻に対する負い目が常にあった。なので正直に言うと、離婚により僕は「夫」という立場から解放されてホッとしている部分もある。

責任を放棄したと非難する向きもあるだろう。やはりそのように現実でも言う人がいて、その手の非難は甘んじて受けることにしている。ただ、以前のように働けない中、経済的な安定を図るのはやはり大変だったし、できるだけ健康そうに振る舞わなければならないという苦しみもあった。頑張る夫という役割を果たそうとした。でもどうしようもなく苦しいことも多かった。

 

僕のがん患者としての振舞いは100点だと思う。死にたくないと喚き散らしたこともない。金銭的に誰にも迷惑をかけず自分で全て完結させた。病気に対する愚痴により家庭を陰鬱にするということもなかったと思う。再発しても淡々と治療を受け、またしても誰にも迷惑をかけることはなかった。全て本当に淡々としていた。100点満点だ。

しかし、それは病人を基準とした評価軸であって、一般社会を評価軸とすると20点くらいまで下がる。上手く働けないし、働けてもパフォーマンスはかなり低い。収入も当然低い。時々体調が悪くなる。僕はしばらくは仕方のないことだと考えていた。

しかし、僕の元妻の評価軸は一般社会のほうだった。これは元妻を非難しているのではない。ただ二人の話し合いの場をきちんと持ちさえすればよかったのだ。もっとお互いの意見を率直に言えればよかったのだ。評価軸の擦り合わせをすればよかったのだ。この点において相手に配慮を求めるだけだった僕と元妻は両方とも悪い。

そして、元妻の要求水準は、僕が出せるものより少し高かった。僕は途中で疲れ果ててしまい、そして再発により全てが終わった。

 

しかし、離婚して悪いことばかりかと言えばそうでもない。まず、昔からの貧乏暮らしの影響で僕一人ではほとんど金を使わないので、経済的な安定が図れる。そして何よりも体調の悪いときでも、自分だけのために昼間からずっと横になっていられる。誰も気にする必要がない。誰も気にしなくてよいのは、寂しくもあり、楽でもある。

 

今の僕は間違いなく不幸だ。誰がどう見ても不幸だ。売れない脚本家が書くような典型的な不幸像だ。余りに典型的過ぎて自分でも笑ってしまうことがある。

「不幸話」とは当人が幸福な時に「昔は大変だった…」と述懐されるものだ。だから、僕はこの現在進行形の不幸を「将来の不幸話」にすべく、今からの人生を幸福なものにしなければならないと思っている。

11/23 がん患者の仕事

放射線終了から92日目。

会社と話し合いの場を持ち、12月の検査で特に問題がなければ、年明けより復職することになった。僕の仕事は多少特殊なので、別に今まで通り東京に居なくても、福岡を起点にして西日本の仕事ならばある程度こなすことができる。

当面は福岡に拠点を置きつつ、フルタイムで働くのではなく、仕事があるときだけスポット的に働くことになる。そして、実際に復職してみてこれ以上続けるのが難しいと思ったら、潔く「決断」を下すことになるだろう。

  

率直に言うと、再発した時点で現職を続けるのはもう難しいだろうと思っていた。今の仕事では色々な客先に直接乗り込んで、長期間客先で作業をするので、ある意味自分自身が商品になっていると言える。しかし、そこに僕のような見るからに病み上がりの人間が送り込まれてきたらどうだろう。

それはある意味欠陥品と分かって商品を客先に納入するようなもので、クライアントからすれば当然あり得ないことだ。鼻水を垂れ流し、水も頻繁に飲み、すぐ頭が痛くなる、体力もない、長時間の労働に耐えられない人間を誰が信用するだろうか。

僕が復職に際して極端にセンシティブになっているから不安を覚えているというわけではない。社会というのはそれなりに厳しいものなのだ。僕はそれをこの2年間味わい続けてきた。とは言え、復職のチャンスが与えられたのだから、まずは挑戦するしかない。

 

そして実はと言えば、復職の検討と並行して、がん患者の就職の現実を知るために、がんセンターでハローワークの担当者を紹介してもらって、面談に行ってきたこともある。

がん患者の就職は「長期療養者等就職支援」という事業の括りに入れられていた。担当の話を聞いてみたが、がん患者のために仕事を取ってくるのではなく、ハローワークにある仕事の中からがん患者に向いていそうな仕事を紹介するものであった。つまり、ハローワークの仕事の中からさらに少ない仕事しか割り当てられない。言い方はかなり悪いが、必然的に「絞りカス」しか残っていない。

がん患者が求めている働き方は、①比較的短い時間で毎日働く ②週に3~4日働く の大抵どちらかだ。なので、既存のリソースを割り当てる現在のやり方ではなく、新たに専用の求人を開拓していかないと、がん患者の要望とマッチすることは少ないだろう。望ましいのは、例えば本来1人でやる仕事を2人のがん患者でシェアするなどの働き方だが、このような働き方こそ行政が介入しないと実現は難しい。国ががん患者の就職支援に乗り出したのは本当に最近のことなので、今後の進展に期待したい。

 

幸い(?)離婚して収入水準のことは気にしなくてよくなった。

これからは、今までのように馬車馬のように働いて高収入を得る暮らしから、適度に働いて適度な収入を得る暮らしにシフトしていく必要がある。でもそんな都合のいい働き方が、がん患者に用意されているのかは分からない。

今はできることからやっていって、駄目だったら軌道修正していくしかない。

11/17 博多駅前

放射線終了から86日目。

用事があり博多駅に行ってきた。

折角なのでミーハーながら、福岡市民として博多駅前の陥没現場がどのようになっているか見に行くことにした。市民は税金の使い道を監視する義務がある。偉そうに言う割には、今年は全く税金払ってないけど(笑)

 

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凄い復旧ぶりだ。周囲に監視員がいたのと、テレビに映っていたセブンイレブンがあったので分かったが、それがなければどこが陥没現場なのか分からない。

駅前のど真ん中で起きた事故なので注目されたが、工事自体はさほど難しいものではなかったのだろうと思う。そもそも福岡は炭鉱跡が多く陥没が発生しやすいので、埋め戻しのノウハウが蓄積されていると聞いたことがある。

むしろ、この手の都市型災害で難しいのは市民感情のコントロールだろう。今回の迅速な復旧は、何より市民が協力的だったのが大きいように感じる。周囲からの不満も聞こえてこず、現場で頑張っている人を応援する声ばかりだったように思う。市民の協力が得られれば、あとは金と人をかけるだけだ。 

 

僕の友人が言っていた名言

金で解決できることは金で解決しろ
金で解決できないことが本当に大切なことだ

今のところ人生で5本の指に入る人生訓だ(笑)

僕の心に開いた穴も金の力で埋めることができればいいのにと思う。

11/13 福岡マラソン

放射線終了から82日目。

平穏な日曜の朝の静寂を突然破るヘリコプターの音。何事かと思ったが、今日は福岡マラソンの開催日だった。幸い博多駅前の陥没は特に影響もないようだ。

来年は何とか出場したいと思っているけど、どうなんだろうか。今の状態ではちょっと出場は想像できないが、できるだけの努力はしたい。動けないうちはイメトレくらいはしておくとしよう(笑)しかし、今からわずか2年半前に、僕はマラソンを4時間半で完走しているのだ。その時の僕と今の僕が同一人物だとは、自分でも信じられない。

僕の場合は、精神安定のためにランニングをやっていたという面もあるので、ランニングができないと必然的に精神も余り安定しない。ランニングを続けていた時期は本当に思考が前向きだった。走っているときの万能感が好きで、このまま人生も永遠に走り続けることができるかと思っていた。

皆様ご存知の通り、今の僕の精神は余り上向きではない(笑)体調が良くなって、ランニングが再開できるようになったら、また多少は変わってくるのかとは思う。

 

しかし、ランニングを再開する上での肉体的な障害の数々…

地味に障害になっているのが、唾液が全く出なくなっていることだ。日常でも普通に歩いているだけで、5分後にはもう喉がカラカラになってしまうので、ペットボトルの水が手放せない。唾液の量に関しては、いずれは以前の状態まで戻るのかどうか、全く予想ができない。一生戻らずにこのままの可能性もある。

リンパの手術痕は大分柔らかくなってきたが、むくみと突っ張りに悩まされている。肩こりも尋常ではない。来月診察があるので、その時に診て貰って、必要ならば別途病院に掛かろうかと思っている。

ときどき頭痛と吐き気にも襲われる。不定期だから困る。

鼻水は汗と一緒に紛れるから気にしなくていいだろう(笑)

そして、一番肝心なのが「体力がない」ということ。いかんせん食欲がないのだ。多少の味覚は戻ってはいるが、大抵のものは何を食ってるんだか分からない。だから何かを積極的に食べる気もしない。体重も退院してからも下がる一方だ。元々70kg後半だった体重が、今では60kg前半に落ち込むときもある。まずは最低限の体力を取り戻さねば。

前途はそれなりに多難だ。

離婚2(現在の心境)

離婚して大層落ち込んでいるかと言えば、さほどでもない。もちろん寂しい・侘しい・悔しいといった気持ちはあるが、比較的落ち着いているということだ。

今回の再発の時点で恐らくはこうなるだろうなという覚悟(諦念)があったのと、発病してからの2年間で余りに多くの苦痛があり過ぎて、僕の心は不感症に近い状態になっているからだ。基本的に何があっても動揺しないし、さほど悲しみも感じない。

感情とは海面の様なものだ。海面には凪もあるし時化もある。ただ今の僕の心は海の底にある。海の底は底だからそれ以下はない。だから何の変化もない。

当然、この状態がいいとは自分でも思っていない。今はある種自己防衛的で一時的な状態だと考えている。最低限の感情の起伏は人生を豊かに送るためには必要だが、上手く感情を取り戻せるのは、また人生が回り出してからだと思う。

 

しかし、全ての感情が消えてしまっているかと言えば決してそうでもない。以前に何かの本で読んだことがある。喜び・悲しみというのは時間とともに減衰して、いずれは忘れられていく感情だが、怒り・恨みというものはノイズの様なもので、ふとした時に顔をもたげる一生消えない感情らしい。

このノイズは普通に生活ができているときは当然気にするべくもないが、今のようにひたすら自分自身と向き合う時間ばかりで、心が弱っている状態だと、色々な怒り・恨みの感情がフィルタリングできずに押し寄せてきてしまう。今はこの負の感情にひたすら耐えている状態だ。病気での体調の悪さと相まって、非常に苦しい。

 

生きてさえいれば、時期が来れば、必ずまた人生の歯車が上手く噛み合い出すはずだと思っている。ただ、それがいつなのかは分からない。1年後かもしれないし、10年後なのかもしれない。その時をじっと待ちながら、今はできる範囲での努力を重ねている。

今はただ深く暗い海の底から明るい水面(みなも)を夢見る。