30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

8/18 友人と会う

福岡に帰省中の高校時代の友人と会った。このブログによく出てくるだ。楽しい時間だった。久しぶりに心から笑った気がする。顔面の半分が麻痺してるせいで、意識して余り笑わないようにしてたから、笑ったのが久しぶりすぎて、変な感じだった。

お互いの最近の失敗談を語って笑い合った。二人とも女性運が悪いのは相変わらず。

考えてみれば、高校時代に席が隣同士だった縁で、それから20年近く付き合いが続くってのも凄いよなぁと思う。僕は工学部、彼は医学部で、学部も異なり、そして、大学・社会人時代も、住んでいる場所も常に離れていて、一緒の場所に住んでいたのは高校時代だけなのだけど、未だに関係が続いているのは、本当に不思議な縁だと思う。

病気で失ってしまった縁もあるのだけど、こういう残った縁を大切にしていきたい。

 

あと、味覚障害の件で、東京にいい病院がないかどうか調べてもらうことにした。考えてみれば、常にがんセンターに頼らずとも、最初からこのルートを頼っておけばよかったんだよな。何で気付かなかったんだろう。高校からの友人という印象が強すぎて、そもそも医者だということをすっかり忘れていた(笑)

持つべきものは信頼できる友人だ。

8/1 真夏の光線

陽子線治療が「公的医療保険適応」になったそうだ。

大枚をはたいて実験台になった甲斐があろうというものだ(笑)

しかし、僕はたまたま対応する保険に入っていたので受けることができたが、お金が無くて泣く泣く陽子線を諦めて、亡くなって行った人も多くいるはずだ。そう考えると複雑な気持ちになる。あと数年早く認可されていれば助かった命もあったのだろう。

人生とは何と理不尽なものであろうか。

 

そして、僕も今のところ生き残っているとは言え、「希望のある人生」とは言い難いわけで、もっと他に生き残るべき人がいたのではなかろうかという気持ちにもなる。とは言え、僕が生き残りに選ばれたことに何か意味があるのだろうと考え、ボロボロな現状ながらも、諦めずに何とか生きていこうとは思っている。

 

ところで、今日は地元の花火大会だった。

あれからもう一年経ったのか。早いものだ。

去年に比べたら前には進んでいるかな。そんな感じ。

7/6 悪い夢

最近は余り精神面が良好ではありません。自分の努力ではどうしようもないことが多過ぎてほとほと参ってます。今回の内容は暗いので、不快に思う方は読まないでください。じゃあ書くなよって話にもなりますが、こうやって書くことで自分の精神が落ち着く面もありますし、思考の整理にもなりますから、ご容赦頂ければと思います。

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6/17 人生の質

がんセンターに半年に1度の検査に行ってきた。腫瘍の大きさは変わらず、現状維持といったところだ。そして、鼻水も相変わらず原因不明で止まらないし、味覚もぼんやりとしたままだ。この2つが僕の人生の質の低下に大きな影響を及ぼしている。

がん治療に伴う味覚障害の外来を紹介してくれるように主治医にお願いしたが、そのような外来はないとのこと。福岡だから無いというわけではなく、全国的に無いらしい。治療後のことなので、あまり議論としては活発でないのかもしれない。そして、医療関係者には、治療後のことまでは面倒を見きれないという風潮があるのは否めない。

 

さらに僕は嗅覚すらないわけだかから、その分さらに味が分かっていない。多分、常人の3割くらいしか味覚を感じてないんじゃないだろうか。

仮に2度目の入院治療により、残り10年だった寿命が残り20年に延びたのだとしよう。でも、その代償として僕の人生の質は半分以下に低下してしまった。10年×1と20年×0.5。トータルで同じなら、残り短くとも楽しい人生であった方が良かった。

 

仕事が終わったらおいしいものを食べようとかいうのは、日々のモチベーションになるものだ。全般的に人生のモチベーションが上がらないのは、もちろん病気による体力・気力の低下によるところが大きいが、こういう日々の小さな喜びがないことも大きいだろう。

何と言うか、何の楽しみも歓びも希望も無く日々を生きて、何のために生きてるんだろうなぁというのはいつも思っている。本当にただ生きているだけだなぁと。

こんなことを現実で言うのは憚られるからブログで書くのだけど、生き残ってもこんな目に遭うならば、治療を受けずに残り短い人生を楽しく生きて、さっさと死んでしまった方がよかったとさえ思う。

6/4 悲観と楽観

このブログは基本ネガティブだ。そりゃそうだ。そもそもこのブログは、病気に係る様々な感情を吐き出すために始めたのだから、ネガティブな部分が多くなってしまうのは仕方がない。ただでさえ現実世界で無理して生きているのに、仮想空間でまで見栄や虚勢を張ったりするのは本末転倒だろう。

読者の方は僕の駄目な部分だけをひたすら見ていると思うが、現実世界ではそれなりに真っ当な生活を送っているので安心して欲しい(笑)

 

たまには現実世界の自分を褒めることでも書いてみようか。

病気になってから自分で一番よく頑張ったと思うのが、金銭面を完全にコントロールしていることだろうか。下世話な話をすると、ガンを始めとした重い病気の悩みは、イコール金の悩みに尽きる。金のない時の人間の醜さなんて酷いもんだからね。金銭面の問題が大きくないことが、精神面の安定につながっているのは間違いない。

そもそも病気以前に、僕は自分で環境をコントロールすることに慣れている。僕の実家は有体に言うと貧乏だから、人に頼らず自分の力で何とかするということが骨の髄まで染みついているのだ。

思えば、大学・大学院もほぼ金を払わずに過ごした。授業料は成績優秀で免除してもらったし、育英会奨学金を貰って、それもまた成績優秀で最終的には免除してもらった。車の免許も大学院卒業の直前に自分で金を出して取った。とにかく全部独りでやった。

とまあ僕は努力をすれば大抵のことは乗り越えられると思っていて、実際大体乗り越えてきたのだけど、今回の病気に関してだけはどうしようもない。努力でどうこうできる話ではないからだ。だから正直困っている(笑)

 

思い返せば、僕はよく悲観主義者だと馬鹿にされてきた。僕はあらゆる可能性を考慮に入れて行動しているから、人にはそう見えるのかもしれない。恵まれた環境で育った人には分からないだろう。自分の力で生きているように勘違いしているが、いつまでも誰かの庇護の下にいるような連中はいくらでもいる。

上手く行くことに無根拠に賭けて、実際何か起こってしまった場合は、誰かに頼ればいい。そういうのを楽観と呼ぶなら、僕は悲観主義者と呼ばれて構わない。でも僕に言わせればそれは楽観ではなく、単なる無軌道だ。

 

フランスの哲学者アランの「幸福論」で

悲観主義は気分であり、楽観主義は意志である

という一節がある。

だが、僕の悲観主義は意志に基づくものだとあえて言っておきたい。