30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

10/30 味覚記念日

放射線終了から68日目。

入院中に行ったラーメン屋に行った。


日記を読み返すと、あの時の衝撃を思い出す。あれから全く味がしないという苦痛をひたすら味わい続けて3ヵ月近く経つのだ。苦しい日々だった。

最近は、何となく甘味も感じることもあるし、塩そのものを舐めると微かに塩味もする。コーヒーを飲んだら仄かな苦みも感じる。ある程度味覚が戻りつつあるのだろうと思う。でも本当に戻ってきたのかどうか確信を持てない。味覚を失ってから3ヵ月以上経つので、味が「そもそも」どういうものだったかが分からないのだ。

 

ということで、以前のラーメン屋に来て、実際に食べてみてどう感じるか実験してみようとなったわけだ。そして、実際に食べてみると、何となく味がする気がする。ラーメンを食べているという気がする。とても不思議な感じだ。

この日を待ち望んでいたが、こんなにもアッサリした瞬間だったとは。

幻痛」という言葉があるが、僕が感じているものも、味覚の復活を願う余りに脳内物質で創り出された「幻味」ではなかろうかという気になってくるくらいの微妙さだ。しかし、自信は持てないが、多分味はしているのだ。一応味覚が戻ったという区切りにはしてもよいのかもしれない。 

 

『この味がするね』と君が言ったから十月三十日は味覚記念日

10/20 モンスターギガ

放射線終了から58日目。

鳥獣戯画」を見に九州国立博物館に行ってきた。

以前に東京国立博物館で開催されていて、見に行きたいと思っていたのだけど、陽子線治療が終わった直後ということもあって叶わなかった。しかし、まさか東京の次に福岡に来るとは。太宰府の博物館であるという「格」があったから2番目に来てくれたのだろう。太宰府と道真公の威光は1000年経っても健在なのだ。

決して体調はいいとは言えず、むしろ最近は悪いほうではあるが、二度とない機会なので無理を押して見に行くことにした。休日だと確実に混むので、病人の特権を活かして、空いている平日のど真ん中に行くことにした。

 

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行ってみて初めて知ったのだが、何と前期と後期に分かれていて、2回来ないと巻物全部を見ることができないらしい。やり方がセコくないですか?

前半後半に分けなければいけないほど長い巻物なのかと思いきや、2~3分程度で見終わってしまった。後ろから係員が早く移動するようにと急かすこと急かすこと。後は抱き合わせの展示物が延々と続く。一回で全部見せてくれてもバチは当たらないだろうにね。この国で芸術家が育たない理由もこういう小さなところからも垣間見える気がした。

平日と言えどもそれなりに待ち時間が長かったので、見終わった後は疲れてぐったりしてしまった。しかし、この疲労に見合うだけの価値があったかと言えば、正直微妙ではある。これから見に行こうと思っている人には余りお勧めできない。 

誤解の無いように言うが、展示物自体は素晴らしく、半分であろうとも見る価値があるものだ。ただ、運営が残念でならない。価値をまさに半減させている。

 

とは言えこの体調の中、無理を押して見に行った僕には多少のご利益があるに違いない。きっと極楽浄土に行けることだろう。いや、半分しか見れていないから行けるのは半分か(笑)

10/15 担担麺

放射線終了から53日目。

ほんの少しであるが味覚も戻りつつあり、以前ほど食事で吐き気を催すこともなくなったので、最近ではカップラーメンを試すようになった。カップラーメンのような「下品」で濃い味の方が、味覚を感じやすいのではないかと思ってのことだ。

「カップラーメンなんか食べてないで、もっと健康にいいものを食べなさい。そもそもあなたががんになったのだって、云々…」と有り難い講釈をかましてくれる人もいる。健康・栄養とか以前に、こちとらそもそも味覚のせいで食えなくて困ってるのだ。健康的で味をしっかり感じるようなものが存在するのなら、とっくに食っとるわ!

がん患者は「善意による無意識の悪意」にしばしば晒される。

 

少し話が逸れてしまった。ということで、色々カップラーメンを試してみていたのだが、本日ついに理想の製品に辿りつくことができた。日清の担担麺だ。

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取り立てて味がするというわけではないが、違和感なく食べることができる。ラー油の辛みのおかげで、何となく担担麺を食べている気にさせてくれる。(「辛み」は「痛み」だから、味覚が無くなっても感じることができるのだ ← 味覚障害者あるある)

食べながら少し涙が出てきた。ありがたいことだ。

小さな希望を少しずつ集めよう。

10/12 どうぶつ

放射線終了から50日目。

色々あり、精神・肉体ともに最悪な状況だ。正直きつい。

この状況を乗り切れる人ってこの世にいるのだろうか。

残念ながら今の僕は乗り切れる気がしていない。

 

最近、野良猫を見つけると、手を差し出してみることにしている。

すると不思議なことに、相手をしてくれることが多い。

にゃーんと体をすり寄せて、手をペロペロなめてくれる。

どうぶつは よわっているひとに やさしいのだな

10/6 種の保存再び

放射線終了から44日目。

以前の入院前に保存手続きをした精子の保管期限が近づいてきた。2年毎に手続きをしなければ破棄されてしまうと説明を受けたのを、ブログを読み返して思い出したのだ。こういうときに記録を取っておくとそれなりに役に立つ。

 

本来は医者の診察を受けなければならないらしいが、電話で事情を説明すると便宜を図ってくれて、遠隔での手続きで済ますことができるようになった。さすがにこれだけのために東京に行くのはしんどいし、行けるのもいつになるのかも分からないので、融通を効かせてもらって助かった。21600円2年間の延長ができるとのこと。この辺の相場はよく分からないが、まあ妥当な金額なのかな?

しかし、当時保存をしたときは、まさか延長の手続きをすることになろうとは思いもしなかった。保存当時は陽子線治療前で、その2年後となると、死んでいるか、病気が回復しているかで、どちらにせよ保存を延長する必要もなくなると思っていたからだ。それが、まさかの再発になり、ここまで長引くことになろうとは。

 

当時の日記を読み返して、下らないことを書いてるな~と笑いながら、あれからもう2年近くの歳月が流れたのだと思うと、何とも言えない苦しい気持ちになった。僕はこの2年間でとてつもなく大きなものを失い続けた。

仕事のスキルは、もうどうしようもないくらい失われているだろう。マラソンを完走する体力なんかもう当然なくて、それどころか近所のコンビニに行くのも苦しいときがある。何より自分自身に対する自信を完全に失ってしまった。

当時の僕の面影を残すものは冷蔵庫の中の精子だけだ。そして、この2年間の間に失ったものの大きさに思いを馳せつつも、頑張って生きて行く他にないのだ。