30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

2022/3/3 1日目(事前説明)

今日から入院である。5年前の退院時、二度とここには戻ってくるまいと誓ったが、残念ながら叶わなかった。入院するフロアに入ると、点滴機からの耳をつんざくようなアラーム音。5年前の苦しかった日々が思い出される。

今日は投与される薬についての説明が主であった。僕が投与される薬は、オプチーボではなく、キイトルーダとのこと。オプチーボがPD-1阻害薬の一般名称であり、その商標がキイトルーダなのだろう思っていたが、どうやら全く別の薬らしい。別にジェネリックとか類似品というわけではないだろうから、効果にはさほどの違いはあるまい。

その説明文には「腫瘍の縮小・維持を目的とする治療であり、根本的な効果を期待する治療ではありません。」という旨の注意書きがある。「そんなことは知っている!」そう叫びたくなるのを堪えて、心の中で何度も何度も繰り返し呟く。もう手札が尽きつつあるのだ。そして残っている手札は戦況を一変させるエースではなく、3や4などの場を流すだけの札に過ぎない。

 

食事に出たちらし寿司をみて気付いたが、今日はひな祭りだったのだ。

そんなことにも気が及ばない。表面上は平静を保っているつもりだが、実は僕は自分が思っている以上に追い詰められていることに気付いた。

そして、陽子線の治療をしていた頃に、恵方巻を食べたことを急に思い出した。もうあれから7年も経ったのだ。僕は十分すぎるほど頑張っただろう。色々と疲れてしまった。何度未来をこじ開けても、その度に閉じていく。

もう全て終わってもらっても構わない、と思いつつある。

そして、終わるなら早い方がいい。

2022/3/1 PCR検査

今日は入院前のPCR検査を受けてきた。オプジーボは投薬時にどのような副作用がでるか人によって全く異なるらしく、初回投薬時だけは副作用の経過観察のために、4日ほど入院する必要があるのだ。

PCR検査に引っかかると当然入院不可となる。特に体が弱ってる患者が多いがんセンターだから、これだけ慎重にやっても、やり過ぎるということは無いだろう。

しかし、コロナってのはある意味がんよりも恐ろしい病気だ。誰にも看取られることなく死んで、対面するときは骨なんて、ぞっとする。コロナで突然死ぬなんて交通事故で死ぬようなもので、がんで死ぬ方がまだマシなような気もしてくる。

2022/2/26 所詮は人事

タイトルに前回と同じく「人事」を含むが、今回は「ひとごと」と読ませる。

恥ずかしながら、僕は病気の最初の頃に、その「悲劇的な境遇」で世間の同情を買えると思っていたフシがあるのは事実だ。しかし、それっぽく悲しんでくれる人もいるけど、その大部分はポーズであることを僕は知ってしまっている。悲しむのは一瞬だけで、数日後には笑いながら酒の肴になるような世間なのだ。

別にそれが残酷だと言っているわけではない。僕だって、仮に街頭でウクライナ情勢についてインタビューされたら、表面上は悲しむコメントをするだろうが、そんなものは所詮はポーズで、その裏では、株の損失だったり仕事への影響だったり、そんな自分本位のことを考えたりするだろう。そんなもんだ。自分の身に起こった悲劇だけが、世間の憐憫の対象となるなど、そんなことは有り得まい。

 

自分の身は自分で守る必要がある。ドラマよろしく、窮地で誰かが救いの手を差し伸べてくれるなんて考えてはいけない。昇進の話だって、表面的にはめでたい話ではあるが、タイミングが悪すぎる。僕を文字通り「死ぬまで」使い潰して、使い捨てるつもりなのかもしれない。みんな他人がどうなろうと心底「人事」なのだ。

そして、本当に心配してくれる人との関係だけを大切にしていけばいいのだ。

2022/2/24 人事が全て

半沢直樹よろしく「銀行は人事が全て」ではないが、僕が勤務している重厚長大な会社も似たようなものである。この時期になると、およそ関係のない人までがそわそわとして、予想屋のように人事で盛り上がっている。

 

一方の僕はどうかと言えば、がんの再発のことは上層部に伝えてあったため、降格までは既定路線であった。中途採用してもらって再発なんか洒落にもならんよなぁ、と思いながら仕事をしていたところ、突如の上司からの呼び出し。やはり来たか。

「クビにならんかったら御の字やな…」と会議室に向かい、内示を受けたところ…なんと昇進を言い渡されたのである。

内示を受けた瞬間、思わず「正気ですか?」と言ってしまった。

失礼極まりないが、偽らざる本音だ。

 

がんのような病気で恐ろしいのは、金銭面のやりくりと、長期に渡る闘病での世間との断絶である。僕は幸いにして保険などで金銭的に苦しむことはない環境を構築できているため、世間との断絶で社会的に死ぬのが最も恐ろしい。この度、僕は引き続きどちらも享受できる「幸運」に恵まれたのだ。

不思議なもので、病気になると、全ての当たり前の出来事を健常者の数倍の感度で味わうことができる。病気になった数少ない利点であろうか。