30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発→2022再々発

2022/8/19 キイトルーダ9回目とプランク時間

理論上観測しうる最小の時間単位をプランク時間という。

要するに連続とも感じられる時間にも、デジタル音源のようなサンプリング周期があり、実は断絶しているという理論だ。我々は時間は連続と思っているが、実はプランク時間毎の意識の断絶がそこにあるのだ。

 

話は変わるが、僕は技術系か法律系かよく分からない某資格の持ち主なので、民法の損害賠償請求権についてのわずかばかりの知識もあるが、そこでは意識の断絶についての奇妙な議論がなされていたりする。例えば、交通事故で即死となった被害者は、交通事故による慰謝料請求を観念する意思を持つ余地がないので、そもそも慰謝料請求権は発生せず、被害者の相続人に損害賠償請求権は相続されないのではないか、という議論である。

もっとも、本議論については、以下のような判例が存在し、理論的にも感情的にも争いは無くなっている。

生命侵害の場合に、被害者に固有の慰謝料請求権が発生し、これが相続されるという構成(相続構成)を取るべきかどうかは争いがある。判例は相続肯定説をとっている。その根拠としては、不法行為と被害者の死亡との間には(たとえ即死であっても一瞬の)時間があり、その間に被害者が慰謝料請求をすることを観念できること…(最大判昭和42年11月1日民集21-9-2249)

生前「残念」と叫んで死亡した場合のみが、慰謝料請求意思ありとして、慰謝料請求権の相続が肯定されるという旧判例があったが、今では上記の様にそんな理不尽なことはない判例法理が確立している。

そのプランク時間よりは長いであろう一瞬で、「あぁ、自分は車に轢かれて死ぬのだ、悔しいなぁ。何としてでもこの悔しさを損害賠償請求権に昇華してくれ。」と願いながら死んでいくということらしい。突然死と思われてもきちんと何らかの意思表示をして皆死んでいくのである(法律上は)

 

そういえば今回は9回目の投薬であった。長々と何が言いたかったかと言えば、今回は投稿がかなり遅くなってしまったが、僕の場合、病気での突然死は有り得ないので安心して欲しい。ちゃんと意思表示をして死んでいくつもりだ。という言い訳である。