弁理士の口述試験を東京で受験してきた。
口述試験では条文の暗唱・条文の趣旨・判例・事例問題が口頭試問の形式で行われる。僕は、趣旨・判例・事例問題は得意だったのでその心配はしていなかった。これらはキーワードを組み合わせて適当なことが言えるから、その場で相手の反応を見ながらの辻褄合わせで何とかなってしまう。
しかし、条文の暗唱だけは全くやる気がおきなかった。僕は昔からこういう無意味な暗記が死ぬほど嫌いなのだ。見れば分かることをなぜ覚えなければならないのか?そして、この試験に何の意味があるのか?とそもそも論で考えてしまうので、全くやる気が起きずに、直前まで完全に放置していた。司法試験なんかでも条文の暗唱をして合格しました、みたいな人がいるが、絶対に無駄な作業だと断言できる。同じことをやって落ちた人の方が圧倒的に多いはずだ。
とは言え、厭で仕方がなくとも覚えざるを得ない。自分で言うのも何だが、僕の追い詰められたときの集中力は凄まじく、本番1週間前から条文の暗唱を始め、最終的には何とか形にして、本試験に臨むことはできた。
結果としては、ほぼ間違いなく通過しただろうという出来だ。
自分はもう人生に期待をしていないから、別に落ちてもいいやという気持ちがあり、全く緊張しないと思っていたのだが、実際に試験に臨むとそれなりに緊張してしまった。
緊張するということは、上手く行って欲しいと願っているわけで、僕は人生を諦めていると言いつつも、「まだ、諦めずに、まともな人生を送りたい」と心の底では望んでいるのだな、と不意に分かってしまって、そんな自分に思わず笑ってしまった。
試験会場である都心の超一流ホテルの待機部屋からは隣の公園が一望できた。そこには日向ぼっこを楽しむ子供連れの家族の幸せ像があって、その幸せそうな家族を秋の穏やかな陽の光が祝福している。僕にはもう一生こういう「典型的な幸せ」は手に入らないんだろうなぁと少し感傷的な気持ちを覚えた。
そして、待ち時間の手持ち無沙汰にかまけて、ボーっと件の家族連れを見ていると、僕が居るホテルが影となって、次第に公園に闇を落としていく。家族は光の当たる場所に移動しようとするが、結局公園の全てが影に覆われてしまった。
そう、光と影が入れ替わるのなんて一瞬なのだ。そして人生の全てが影に覆われて、何をやっても抜け出せないこともある。僕はこの数年で厭と言うほど味わってきた。あの幸せそうな家族連れの人生も、どうしようもない絶望に覆われることもあるのだろうか。
まぁ僕は僕なりの幸せを見つけて生きて行くかね。