結論から言えば、腫瘍の大きさに変化はなかった。
先生は気を遣って、腫瘍の大きさが変わっていないことも成果であるという旨の話をしてくれたが、ある種の気休めであることは分かっている。とはいえ僕は、気力を絞って「それはよかったです」と乾いた笑みで返した。一応の反応を見せておくのが医者と患者の信頼関係を保つ暗黙のルールである、と僕は長い闘病生活で学んだ。
バッドエンドが限りなく現実味を帯びてきた。抗がん剤の種類を変えるか、放射線をするか、外科手術をするか、オプションはまだ残っているが、どれも決め手にはなりそうにはない気がしている。過剰な治療を避け、QOLをそれなりに保ったまま、人間らしい死に様を模索する段階に入ったのだろう。
先生よりアルコールを飲む許可を貰うことができた。今日ばかりは、何かに頼らないと精神を保っていられる自信が無い。半年ぶりのビールを喉に流し込むと、抑えていた涙がとめどなく溢れてきた。
駄目だろうと薄々気付いていても、結果を見る瞬間までは希望を持っていたいものだ。僕は大学受験で大失敗をやらかして、第一志望の大学は不合格だったが、そんなときでも何かがまかり間違って合格していないかと、最後の最後まで願い続けたものだ。
結果を知らないからこそ希望を持てるというのは、皮肉な話でもある。
やはり、僕の箱の中のシュレディンガーの猫は死んでいたのだ。