30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

2023/4/10 業

明後日よりサイバーナイフのため入院である。

正直なところ、もう死のうが生きようがどうでもいい、というのが本音だ。

こうやって真綿で首を絞められるように弱っていくよりは、最初の段階で死んでしまっておけば、どれだけ楽だっただろうかとすら思う。今回の治療が上手く行って生き延びたとしても、今後さしたる希望も無いことも無力感に拍車をかけている。

 

思い返せば、子供時代から苦労だけの人生であった。

父親は僕が物心ついたときから、ろくに働いたところを見たことがない。経済的にかなり苦しめられた。やりたいことがあっても、どうせお金がないから無理だろう、と無意識的に諦める子供時代であったように思う。

働かないだけならまだ我慢もできるが、旧帝大出身でプライドだけは高く、家の中では専制君主のように振舞う男であった。家庭内暴力もしばしばあった。自分以外の人間を見下しており、食事中はいつも誰かの悪口ばかり、お陰で食事での楽しい思い出が全くない。僕が家庭を持ちたいと強く思わないのは、父親が原因であろう。

そして、明らかに自分よりも能力が高かった僕に嫉妬して、小さいときから何かにつけてバカにするような言動を繰り返す、碌でもない男であった。何かの才能が萌芽しようとすると、全力で叩き潰すのである。僕がいまいち自信が持てない性格なのは、これも父親が原因であろう。社会に出てからの客観的評価により是正できたのは幸いだが。

父親は僕が社会人になってすぐに癌で死んだ。正直かなりホッとしたことを覚えている。尊敬できない親を養うなど狂気の沙汰である。父親が未だに生きていれば、僕はとっくに経済的に破綻しているだろう。

一方、母親は間違いなく「善人」である。ただ、社会は清濁併せ吞むくらいでないと渡っていけない。そして、多くの「善人」がそうであるように、母親にはそこまでの生活力があるわけではない。母親は年金を払っていなかったので、受給額は微々たるものである。だから、こんな状態になっても僕は仕送りを続けざるを得ない。

母親は、僕が死ねば保険と遺産が入るし、生きていれば僕の扶養義務により、どう転んでも生活の安定は「死ぬまで」保証されている。もちろん母親はそんな下衆なことは計算していないだろうが、結果的にそのようになってしまっているのである。悲しいかな、僕だけが、まさに「死ぬまで」負担を負い続けるのだ。

 

本当に今までよくやってきたと思う。もう疲れてしまった。

この呪われた家系の全ての業から、早く解放されたい。

経済的な苦労がなければ、病気がなければ、僕の人生はどんなものだったのだろう。

来世は普通の家に生まれて、普通の人生を送りたい。