ようやく退院日である。
やはり副作用のピークがこの辺りに来るようだ。頭と身体が分離しているような感覚がする。血圧が低くなっていて体が重いのもあるが、そもそも全身の筋肉が弛緩している。リンパ郭清痕は特に嚥下力が落ちるため、唾や息が呑み込めなくなることすらある。
帰りの車の運転が心配だったが、何事もなく帰宅することができた。
入院の準備をして、抗がん剤治療を受け、退院処理をして、車で帰る。自宅では栄養のある食事を準備し、体調を管理しながら少しずつ体力回復に努める。
当たり前の闘病ルーチンだが、決定的に違うのは、金勘定を含め全て一人で処理しているということだ。「何事もなく」というより「何も起こらない」ように調整しているというのが正確なところだろう。本当は体力的にも精神的にも、毎日がギリギリの勝負である。
頼れる人がいるなら頼りたいものだが、状況的に一人でやるしかない。
僕の人生は、生まれも育ちも環境も、良好でない。
本来ならば僕の人生は、生命的に、もしくは、社会的に、とっくに終わっているべき運命だったのだと思う。それを僕が自らの努力でここまで延ばしてしまった。努力をしてしまったがゆえに、自ら苦痛を味わう期間を延ばしてしまっているのだ。
努力をせずに早々に諦めて、野垂れ死んでいたほうが、楽な人生だったわけだ。
何とも滑稽な話である。