30代がん闘病記

2014発病・入院・結婚 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院→2025最終章

2025/6/14 大切な友人

大切な友人がいる。

「友人」は、普通は学生時代にできるもので、社会人になってからの知り合いは利害関係が絡むため、なかなか「友人」にはなり得ない。ところが彼は、僕が新卒で入社した会社の同期になって以来の付き合いである。車のことを書いた日記で少し触れたが、同じ愛知の田舎の工場に配属されてから15年近くの付き合いだ。

僕は病気になって、多くの人と疎遠になったし、自分からも人を遠ざけた。自分が惨めになってしまうからだ。しかし、不思議と彼の前では、自分の情けない部分も何も隠さず接することができる。

 

その他の「友人」は僕が病気になって自分から付き合いを絶ってしまったり、何となく疎遠になってしまった人が多い。一応連絡が続いているうちの何人かは、LINEや年賀状で、近いうち会いに行くよ!と言ってくることもあるが、まず来ることはない。

来ないことについては別に何も思わない。近くに住んでいるならまだしも、大金と時間をかけて遠くまで移動して、もはや付き合うメリットもない病人の相手なんて誰もしたくないのは当然だ。そんなことは分かっているから、来ないのが普通だと思っている。

 

ただ、「行く」と宣言して、来る気配すらないと、そりゃ普通は来ないよなぁと、分かっていながらも少し悲しい気持ちにはなる。

来ないのが悲しいのではない、来るフリをするのが悲しかったのだ。

来るフリをするのは、誰に対しての気遣いなのだろうか、といつも思う。死なれたら後味は良くないが、行く気はあったが忙しくて行けなかったのだから仕方がない、死んだあいつもそれは理解してくれているだろう、という自分自身への言い訳のためなのだろう。

 

しかし、彼は昨年に、本当に見舞いに来てくれた。

もはや付き合っても何のメリットもない僕に会いにくるような、こんな人間がいるのかと信じられない気持ちだった。とても嬉しかった。その時はまだ口も動いたので、楽しく話をさせてもらった。とてもいい時間だったと感謝とともに今でも思い出す。

 

そして、また今年も来ようとしてくれている。

とても嬉しい気持ちもあるのだが、もう僕は人間としての体をなしておらず、まともな応接はできない状態なので、一旦保留とさせてもらっている。

情けない話であるが、今の僕の体たらくを見られたくないのだ。食事もできない、まともに話をできない、ではわざわざ来てもらっても、申し訳ないだけだ。彼の中では、僕の姿は元気で精力的に働いていた頃の僕であって欲しい。願わくは、もう少し長く生きて、酒を飲みながら楽しい話をしたかった。

そして、何とも不思議な縁だが、彼の奥様の家族とも仲良くさせて頂いた。奥様のお兄さんの外見が僕とそっくりという縁からだ。ご自宅にお邪魔したときは、こんな家で育ったら、僕の人生も全く違ったものになったのだろうな、と思える素敵な家庭だった。来世があるのならば、次はこんな家庭に生まれたいものだ。

 

K君、奥様、いつもありがとう。感謝しています。