30代がん闘病記

2014発病・入院 → 2016転移・再入院・離婚 → 2018再出発 → 2022再々発 → 2023入院

2022/10/25 キイトルーダ12回目と運命論

キイトルーダの投薬12回目であった。病状に進展はない。

キイトルーダを始めてから、鼻水の量が尋常じゃなく増えたため、市販の鼻せんでは漏れを止めることができず、医療用の綿球を使用するようになった。鼻水が垂れるたびに、自分の人間としての尊厳が汚され、寿命のロウソクの火を消していっているように思える。鼻水というよりも、もはや何かしらの体液なのだろう。鼻から液体が垂れてマスクを汚すたびに、人間社会で真っ当な構成員として生きる気力が失われていく。

 

もう疲れてしまった。

本当は全てを投げ出してのんびりと短い余生を送りたい。とは言え、僕が働き続けないと、母親の生活を維持することもできないし、予想外に永く生き延びてしまったときに生活を送るだけの貯えをすることもできない。確実に「死」を迎えるという状況でなければ、このラットレースからは逃れることはできないのだ。ラットレースとはよく言ったもので、ハツカネズミよろしく、回し車を死ぬまで回し続けるしかないのだ。何とも滑稽な話である。

そして、このラットレースから逃れる勇気も僕にはない。まさに死ぬまで働くのだ。実家が裕福であればこんな思いもしなくてよかったのだろうか。実家が裕福であった瞬間がない僕には分かりようもないことであるが。家系の経済的・遺伝子的な業を背負って死ぬまで働くのである。

貧乏な家庭に生まれながら、奨学金で大学院まで進み、社会に出てそれなりの俸禄を得ても、度重なるがんの発病と、それに伴う離婚、経済的不振で全てがご破算となり、さらにそれらを跳ね除けても、…まだ足りないのだ。マイナスをプラスに変えることがどれだけ大変なことか。僕はそれを成し遂げ続けてきたのだ。しかし、この努力を否定され続ける僕の人生はもう、マイナスにしようとする超人間的な何かしらの力が働いているとしか思えない。

結局はマイナスで生まれた人間は、負け犬のまま路上で朽ち果てて人生を終えるのだ。